埼玉県の離婚弁護士 レンジャー五領田法律事務所

最強の神様①

最強の神様

日曜の昼過ぎ、仁(じん)と彰(あきら)は「来来軒」にいた。
天井から吊り下げられたような格好で鎮座するテレビでは仕様のないワイドショーがかかっている。「来来軒」は彰の住む市営住宅の最寄り駅に程近い昔ながらの中華飯店である。

16歳の仁は、あまり出来の良くない(市内では後ろから数えた方が早い学力レベルの)市立高校に通う男子生徒だ。彰は40歳で仁の父親だった男だ。「だった」というのは、彰は仁の母親である里奈(りな)と離婚したから。離婚したのは仁が中学1年(13歳)、彰が37歳の時だった。

「コーラでいいか」彰が言った。
「うん」
二人が「来来軒」のチャーハンと平らげた後、彰は瓶ビールとコーラを注文した。彰はテーブルに運ばれてきたビールをコップに注ぐと1杯目のビールを飲み干した。

「チャーハン。ちょっと味変わったよね。塩のかたまりが入ってた」とコップにコーラを注ぎながら仁が言った。
「最近大将を見ないけど、結構歳とってたから体調でも崩したのかな。今厨房に立ってるのは息子さんのほうだろうけど、やっぱり完全に同じ味というわけにはいかないのかもな」と彰が小声で答える。

どこから見ても父親と息子にしか見えない二人が「来来軒」にいたのはこの日が初めてではない。この二人は時々こんな日曜の昼どきを過ごすのである。というのも、互いにそれが嫌な感じがしないから。

「最近、母さんには会ってるのか」
「ほとんど会ってない。俺がいない間に家(うち)に寄ったりしてるみたいだけど、ばあちゃんに金を用立てしてみたいな感じじゃないかな」
「………。」
「じいちゃんが死んじゃってから、ばあちゃんと俺には家が広すぎて困っちゃうよ。掃除は大変だし、庭の木とかびっくりするくらい伸びるんだよ。隣の家の塀を超えちゃったりしてさ」

仁は里奈の母親である佳子(よしこ)の元に身を寄せている。親権を放棄した里奈に代わって親権を持つべく仁を養子に入れた里奈の父親、辰雄(たつお)が1年前に他界してから、仁の養親となったのが佳子というわけだ。辰雄には幾らかの遺産があったようで、金銭的に困っている様子はない。それにしても里奈が猫のような女なのは相変わらずなのだと彰は思った。行きたいところに行き、帰りたい時に帰ってくるだけの存在なのだろう。それに比べて彰はドーベルマンのように従順な男である。

彰と里奈が出会ったのは、彰が高校時代に共通の友人が企画した合コンだった。はじめのうちは付き合うこともなく、時折り共に夜を明かす様なあまり感心できる関係ではなかったが、そのうちに何となく格好がつかないからという仕様のない理由で「付き合うか」ということになった。もっとも身体の相性は良かったのである。互いに、別れたり寄りを戻したりというようなことを繰り返しているうちに、3年半ほどが経った。そんな時、子供ができたということで、いわゆるできちゃった結婚をしたというわけだ。当時は彰が21歳、里奈が19歳、平均的な結婚年齢より早く結婚した、いささか稚拙なカップルというところであった(少なくとも周りからはそう見られていた)。

しかし、二人なら身体の相性だけで押し切れたものも、結婚してからは精神的な相性の悪さが浮き彫りになった。子供を妊娠した女性として、里奈は彰を寄せ付けなくなった。夜の生活からも遠のき、彰は最初こそそれにストレスを抱えることもあったが、次第に慣れてしまった。精神的な相性が決して良いとは言えない二人は、ちょっとしたことで互いにキツい言葉を浴びせ合うようになった。とはいえ何とか曲がりなりにもありふれた(ように周りからは見える)家庭を築いていったのである。

ある日そんな二人の関係に亀裂が入る。ことの発端は仁が小学校4年の時のことだ。時々、友人との付き合いで酒に酔って帰ってくる里奈だったが、ある時、結婚前に付き合ったことのあるといっていた男にばったり道で合ったというのだ。子供の写真を見せてという男に仁の写真を見せたところ「俺に似てないか」と冗談を言われたというのだ。酔っていなければもちろんそんな話を彰にすることもないのだろうが、あいにくその日はちょっとした言い合いになり、里奈はつい口を滑らせたといった具合だ。その時は、その男が誰なのか詳しく聞くこともしなかったが、その頃から少しずつ彰の中に違和感が芽生えはじめていた。

結婚前からお世辞にも理性的な付き合いとはいえなかった二人に、離婚の話が出てきたのはいわば必然だったが、彰の中で大きくなりすぎた違和感は、自分と仁のDNA鑑定をしないではいられないところまでいってしまった。というのも彰には仁の顔があまり自分に似ていないような気がしたから。一方で自分と仁との間に血の繋がりがあるような気がしないでもなかった。確信がなかったのである。初めのうちは里奈は断固として否定し拒否してもいたが、最後には諦めたように承諾した。

それから数ヶ月の時間を経て、インターネットで注文したDNA鑑定のキットが届いた。長めの綿棒でほっぺたの裏をちょっと擦って、その綿棒を海外の研究所に郵送するだけという簡単なものだ。1カ月ほどで鑑定結果が郵送されてくるという。彰は、もし結果がああだったら、こうだったらなどということを思い巡らせてはみたが何の気休めにもならなかった。「私も本当にわからないの」という里奈の言葉を信じてみようとも思ったが、そんなわけがないだろうとも思った。とにかくその間は味のなくなったガムを噛んでいるような、何の意味も持たない時間であった。

それから数週間した頃に紙が送られてきた。届いたのはその辺の誰かがパソコンで5分で作ってプリントしたような、A4の用紙に表のようなものが書かれた鑑定書とやらであった。至って簡単なものだったが、そこに書かれた「生物学的父子関係:0%」の文字だけが妙に悪意を持っているかのように(そんなわけはないのだが)、字が大きくなっていた。こんな紙切れ一枚で人の一生が左右されてしまうのもいかがなものかとは思ったが、残酷なほどあっけなく彰と仁に父子関係がないことが明らかになったのである。