ある晩、子ども達が寝ついたのを見計った僕は由香を居間のソファに誘った。
「由香、ちょっとここに座ってくれる?」
「なあに?」
「こないだ何回か挑戦したけどうまくいかなかったこと、由香はどう思ってる?」
「そのことね。私もいろいろ考えたけど仕方ないと思ってるよ。うまく言えないけど、若い頃と違ってきっと私も洋くんも、母親と父親の体になってしまったんだと思う」
「母親と父親の体?」
「そう。確かにあの時はうまくいかなくて自分自身にガッカリしたけど、それは洋くんのせいじゃないし、洋くんが勃たなかったのも私のせいじゃないと思ってる、というかそう思うようにしてるの。だって、今の私たちは以前の私たちとは違うんだし、セックス以外は全部うまくいってると思っているから。私は今幸せだもん」
「確かに今のところセックス以外に特に問題はないよね。子どもたちも順調に育ってくれてるし、由香はよくやってくれてると思う。由香に対しては感謝しかないよ」
「愛情は?」
「あ、愛情と感謝しかない」
「私もそう。洋くんはいいパパだし、いい夫だと思う。私はお互いに理解しあっていれば、子どももできたし夫婦間にセックスは必ずしも必要ではないと思うの。したければすればいいんだけど、うまくいかないのに無理にしてもお互いストレスになるだけじゃない?それに、年取っておばあちゃんおじいちゃんになったら、遅かれ早かれたいていの夫婦はセックスレスになるんじゃないかな?いいじゃない、プラトニック夫婦でも。むしろそっちの方が愛情レベルが高い感じがしない?」
「プラトニック夫婦か…。うちの両親もそうなのかな?」
「あはは。意外とまだ現役だったりして」
「どうだろう?…そうだ、少し飲むかい?酔っ払わない程度で」
「そうね。私、何かおつまみつくるよ」
僕が茶箪笥の奥にしまってあったとっておきの12年もののオールド・パーを開け、ふたり分の水割りをセットしている横で、由香は買い置きのバゲットを使って、あっという間に3種類のブルスケッタをつくった。
ソファから食卓に移動した僕たちは、カチンとグラスを合わせた後、あっちやこっちに話が脱線しながらも、僕たち夫婦や子ども達の将来について、そしてプラトニック夫婦について話した。そしていくつか夫婦間のルールを示し合わせた。
◎セックスを強要しないが、しないと決めるわけではない。(したくなったらする)
◎言いたい事や不満はためこまず、その都度率直に伝える
◎お互いに遊び(プロ相手)は家族に迷惑をかけない範囲で黙認する(報告義務無し)
最後のルールについては話がかなり紛糾したんだけど、まだ未知の領域で実際にそうなったときにお互いが(特に由香に対して僕が)どんな気持ちになるかよくわからないので仮ルールとして今後も継続審議することになった。
とにかく、今はまだ子ども達も幼く、今後少なくとも10年程度はふたりで協力して息子達を一人前に育て上げるという共通のミッションを第一に考えればいいんだけれど、子どもが成長し巣立った後、残された夫婦ふたりきりの生活はどうなるのか。
順調にいけば僕は来期から次長に昇進することが内定しているけど、10年後に会社や自分の立場がどうなっているかなんて今はわからない。由香は由香で、大地と海斗が小学生になったら仕事をしたいと言っているし、まあ、不透明な未来のことを想像であれこれ話してもあまり意味がないだろう。
「おつまみ無くなっちゃったね。キュウリがあったから切ろうか?」
「キュウリ?そう言えばさ…由香さ、」
「そう言えば?」
「いや、あの、何でもない。あの、そうそう、竹輪の穴にキュウリ通したやつできる?」
「竹輪…、竹輪、あった!それつくるね。すぐできるから。チーズも入れるね」
「マヨネーズと七味かけてね」
「了解!」
できあがったおつまみを皿に盛り付けながら、ふと台所の窓に目をやった由香。
「あ、洋くん、そろそろ夜が明けるよ」
「ほんとだ」
いつしか外は白みはじめ、紫色の美しいグラデーションのかかった東の空の向こうからは、まぶしい朝日が顔を出しかけていた。