埼玉県の離婚弁護士 レンジャー五領田法律事務所

新年のご挨拶に代えて〜透けた乳首

 今、幼稚園に通う長女のお迎えには行っておらず送りだけである。ただ、かつて私は父親としての黄金期に長男あるいは長男と次男の幼稚園の送りとお迎えを両方行っていた。それには当然理由があって、包み隠さずに言うと端的に無職だった。今からもう10年以上前の話だ。

 幼稚園から帰ると回しておいた洗濯機から洗濯物を取り出して市役所がパノラマに見渡せるベランダに干した。撫でるように掃除機を回しているとやがて午前10時に近づく。午前10時という時間、それは近所のイトーヨーカ堂が開店する時間だった。

 開店を告げる夥しい鳩の飛び立ちを彷彿させる音楽を聴きながら私は一階のコージーコーナーでカスタード味のシュークリームを買う。2階に上がりエスカレーターを越えたところに長椅子があり、その長椅子の右隅が私の特等席だった。私の特等席には夏は涼しく、冬は暖かい微風が流れる。そして静かな先の音楽とともにエレベーターの機械音が同等の音量で流れていた。

 朝食代わりのシュークリームを一口で頬張ると、私は常温のブラックコーヒーで容赦なくこれを胃に流し込んだ。シュガーとカフェインを交錯させ、集中に昇華させるためだ。ロースクールに行く時間も資力もない私は、なけなしのお金で受けた予備校答練の模範解答を丁寧に綴じ込みこれを読み込んで暗記するという勉強スタイルを確立していた。私の平日の午前中はこのようにあっという間に過ぎた。

 ここから近所の市立図書館に移動して論文を1通書き、ざっと答えを確認すると午後1時を過ぎている。私は直ぐには子のお迎えに行かず、さらに小刻みに地区内を移動して目の前のスポーツセンターに向かった。30分、インターバル短めで筋力トレーニングをする。それはジェットコースターさながらの勢いで運動をした。いつか弁護士になったら忙しさはこんなものではないだろう。弁護士がどのような仕事をするか全く分からなかったが、無職者のそういったセンチメンタリズムは私を自虐的にせき立てた。

時計が午後1時45分を指そうとしている。お迎えは午後2時がエンドだ。私は前も後ろにも座席が設けられている自転車を飛ばして幼稚園に向かった。幼稚園の到着時間は午後2時ぴったりか、正直にいうと大概午後2時を過ぎていた。だが、幼稚園はしばしの別れを偲ぶ園児と日中我が子を手放した母親たちの邂逅で活気めいており、私の遅刻癖を指摘する者は誰一人としていなかった。当然、その頃になると私のまだ30半ばを過ぎたばかりの肉体は蝉の鳴き声をBGMにして汗を放出している。私の白いエアリズムは人目を憚かるほど汗を含んでいた。

当時、私のTシャツは全てユニクロのエアリズムで黒、黒、ベージュ、そして濃紺と白の5着を着回ししていた。サイズは全てMだ。5着のエアリズムはさながらベンチサイドで戦況を見守りながら自らの出番を待つスポーツ選手で私は彼らの監督のようだった。だからという訳ではないが、私は財布の中にお金がなくてもユニクロを覗いた。エアリズムに新色が出ていないかどうかをチェックするためだ。私は新人発掘に余念が無かった。朝、新進気鋭の白いエアリズムを選んだそんなある日のことだ。

「あら、やだ。」と言い、歯に噛んだ笑みを見せながら一人の幼稚園教諭が私の元に近寄って来て私の耳元で呟いた。「乳首が透けてますよ。」

その教諭は山村先生と言い、若い担任の指導係のような仕事をしていた。噂では身体を壊してして教諭の第一線を退いたとのことだった。年は20代後半で身長は低く胸は無かったように思う。もしかして無くて幸いだったかも知れない。キューティクルの濃いポニーテールをぶら下げつつ、化粧気のなさでその美貌を隠していた。

慌てて視線を下ろし、自分の胸元を見てみると確かに何かが透けて見えていた。透けて見えているものは呟かれた通り私の乳首だった。

翌朝より朝のエアリズムの選出は困難になった。黒は限りなく無難だった。私の乳首は色素沈着しており、黒色のエアリズムは私の乳首を透かしようがないし、仮に私の乳首が朱鷺色の艶かしい色をしていたとしても答えは同じだろう。濃紺も同様で、ベージュは危なくある意味でグレーだった。試しにベージュを着て行ったところ、視線があって挨拶はしてくれても乳首へのそれは無かった。

だが、白いエアリズムを着ていくとどこからともなくその教諭は現れ「乳首、透けてますね。」と言った。一度などの外で子供を自転車に乗せようとした時に門越しに「乳首透けてましたね。」と言われたこともあった。白いエアリズムを選んだ日の私のトレーニングはほぼインターバルが無くなった。

先ずもって誤解されたくないのは、有り体なヘテロ的恋愛感情など一切なかったということだ。私は司法試験にどっぷり浸かり常に賭博者と同じような脳波を陰絵のように揺らめかせていたのであって色恋沙汰は勿論のこと、そこに邪念が入り込む余地はなく、純粋に乳首を透けさせていただけだった。

そんな日が続き夏休みが終わって秋を迎えると、私は妻に買い与えられた紅葉柄のフリースを羽織るようになった。もちろんユニクロ製だ。妻が義父に似合うフリースを店員に選んで貰ったところ爺臭いのばかりを持って来たからクレームをつけてやったと言っていた日に買って貰ったのだが、自分と同じ柄のフリースを着ている老人と度々すれ違ったのは絶対に気のせいではない。翻って、季節の移ろいと共に私の乳首は透けなくなった。当然、「乳首、透けてますね」とも言われなくなった。秋が終わり、冬が来て、その冬が終わり長男が年少から年中に上がると山村先生の姿は見えなくなった。

「おめでたなんだって。病気で赤ちゃん出来ないと思ってたらしいんだけど、妊娠してて慌てて籍入れたらしいよ。」と乳首のことなど露知らない妻が山村先生に関するママ友情報を私に流した。

いつしか私の整理箪笥からはエアリズムは無くなってしまい、ユニクロの限定商品に目を光らせることもなくなった。何かを自慢するつもりなんてない。それらは私にとって自らが父親としての黄金時代を築いた時のユニフォームで、今の私は既に父親としての盛りを過ぎている。そのことを誰よりも理解しているというただそれだけのことだ。況して、老成するつもりなんてないが、今の私はどんなに懸命に運動してもたった30分でエアリズムを汗に浸すことなんて不可能だ。

だけど時折、街で白いエアリズムを着た30代半ばのパパを見かける。私はその度に山村先生の幸福を心より祈る。まるで海から帰ってセザールと一緒になったファニィを見た青年マリウスのように。そして締め付けられるような胸の苦しみを感じながら、決まって自分の乳首が透けていないかを確認するのだ。