傘で顔を隠しながら、真一は美帆の後をつけた。美帆は駅に向かうようだ。『まるで俺、ストーカーだな…』何かに取り憑かれたように真一は美帆を追った。
通勤時間帯の駅は混雑していたが、美帆が比較的目につきやすい明るいワインカラーのレインコートを着ていたのは好都合だった。見失わないように、見つからないように…。もしもここで美帆に見つかったら、もう二度と証拠を押さえるチャンスはないだろう。
美帆は恵比寿駅で降りて山手線に乗り換えた。『一体どこへ行くんだ?』と思うまもなく美帆は2駅先の五反田で降り、そのまま小走りでホームの端に向かって行った。そしてある男を見つけるとその腕にしがみついた。
「こいつがWOODYか…」
その男はスラリと背が高く地味だが小綺麗な服装でマスクをしており、遠目からはあまり若くないように見えた。真一は心臓をバクバクさせながらふたりの写メを撮った。『押さえたぞ。こいつがWOODYか!こいつか!』と心の中でつぶやきながら。
合流した美帆とWOODYはまるで恋人同士のように手を繋ぎ、腕を組み、東口から外へ出た。5分ほど歩いた相合傘のふたりはラブホテルの前で立ち止まり、一言二言言葉を交わすとその中へ入っていった。
傘を投げ出し、物陰からその様子を写メに撮っていた真一はもう雨でずぶ濡れになっていた。『よーし、これが動かぬ証拠だ』
30分後、真一は渋谷のネットカフェの一室にいた。個室の壁にもたれ、さっき写した写真をぼんやり眺めながら真一はつぶやいた。
「なんだよ、ジジイじゃないか」
スマートフォンで写した写真を指先で拡大すると、髪には白髪が混じっているように見える。マスクをしているのではっきりとはわからないが、おそらくWOODYは50代、それも後半だろう。そしてその隣で嬉しそうにWOODYの腕にしがみついている美帆の姿を見ていた真一の目からはポロポロと涙がこぼれた。怒り、悔しさ、虚しさ、嫉妬、自己嫌悪…様々な感情が入り混じって後から後から涙がこぼれた。そしていつの間にか真一はそのまま眠ってしまった。
どのぐらい眠っていただろうか。ネットカフェのコインランドリーで濡れた服を乾かし、そこを出る頃にはもうすっかり雨はあがり、外は暗くなり始めていた。
やけ酒でも飲みたい気分だが、酔った勢いで美帆にこの話をしてしまうのはまずい。実際の浮気現場をおさえ、疑惑が事実に変わった今、自分はどうすべきなのかしっかり考えてから行動する必要がある。美帆と話すのはそれからだ。
あてもなく渋谷の街をふらふらとさまよい時間をつぶす。こんなときは普段の何倍も時計の針の進みが遅く感じる。重苦しい数時間をなんとかやりすごし、真一が帰宅したのは23時を過ぎていた。
「遅くまでご苦労さま。冷蔵庫にお刺身が入っているから食べてね」
いつものように食卓の上には真一の夕食が用意され、メモが添えられていた。
美帆も小百合も先に寝たようだ。美帆が時々ぐったり疲れ切った様子で早く寝てしまう理由を、真一は今日はっきりと理解した。
美帆の浮気は突き止めたが、日常生活に変化は一切ない。言い換えれば、もし真一が美帆の浮気に気づかなければ、全て何事もなく毎日を過ごしていただろうということだ。もちろん将来のことはわからないが、少なくとも今しばらくは。
7日以降、真一の関心はWOODYについてもっと詳しく知りたいということに移った。どうやって知り合ったのか?美帆とはいつからの関係なのか?WOODYの家庭や家族は?WOODYが若いイケメンでもなく、遊び人風のオヤジでもなく、地味な初老のおじさんだったことが逆に真一のプライドに深い傷をつけた。
二日後、真一は勤務時間中にも関わらず、仕事の合間を利用して美帆の勤めるドラッグストアに来ていた。美帆がこの店に勤め始めて約3年になるが、真一が訪れるのは初めてのことだ。毎週木曜日は小百合のピアノのレッスンの付き添いで美帆は出勤していないので、店に真一を知るものはいない。
「何かお探しですか?」
落ち着きなくキョロキョロしている真一に品出しの手を止めて声をかけてきたのは、40代前半ぐらいの、感じのいい女性店員だった。名札には「おかざき」と書かれている。『この女性が偽のアリバイに登場した岡崎さんだな。実在したのか』と真一は直感した。