忠告しておこう。
世の中には知らなくてもいいこと、知ってしまったが故に自分を追い込んでしまうことが往々にしてある。余計なことには下手に首を突っ込まないこと。不審に思ってもあえて追求しないほうがよい場合もあるのだ。
忠告もうひとつ。
スマートフォンを買い換えた時は、アプリのインストールや待ち受け画像や諸々の細かい調整は後回しにして、最初にパスワードでも顔認証でも指紋認証でも構わないから、まずは真っ先に画面ロックの設定を必ずやっておくこと。
他人に知られたくない秘密を持っている人は特に。
「ただいま」
その日、残業を終えた高原真一が帰宅した時、時計はもう23時を回っていた。
居間のテレビはつけっぱなしで、ソファでは妻の美帆がスマホを手に持ったまま寝落ちしている。小学4年生になる娘の小百合もすでに部屋で眠っているようだ。
食卓には、いつものように真一のための夕食が電子レンジで温めるだけですぐ食べられるよう用意されている。
「お、今日は生姜焼きか」
料理を温め終わった真一は缶ビールを開けた。
プシュッ!その音で美帆が目を覚ました。
「あ、おかえりなさい。遅かったのね」
「ごめん、起こしちゃったね。ちょっと会議が長引いちゃってさ」
「そうなんだ?おつかれさま。真ちゃんが食べてる間、先にお風呂入ってきちゃおうかな。テレビ消しとくね」
「うん」
美帆のつくる生姜焼きは絶品だ。そう高くもない豚ロース肉を使っているのに味わい深い秘密は、隠し味にマヨネーズとコチュジャンを使っているからだそうだ。
空腹だったこともあってものの数分で食べ終わり、ビールを飲み干そうとしていたその時、聞き慣れない奇妙な音が響いた。
ピロロン!ピロロン!
音の方向に目をやると、美帆のスマホがソファの下で光っている。
「あ、この音か。日曜日に機種変したばかりなのに、こんなところに置きっぱなしで踏んづけたらどうすんだよ」
床のスマホを拾い上げた瞬間、SNSメッセージ通知の最初の一行が真一の目に飛び込んできた。
『今日の美帆さんも素敵だったよ。ありがとう』
真一は自分の目を疑った。
と同時にそれが何を意味するかを一瞬で理解した。
妻は浮気をしている・・・。
心臓の鼓動が激しくなり、顔は熱くなり、スマホを持つ手が震える。メッセージの送信者はWOODY。
美帆とWOODYのトークルームでのやりとりを見ようか躊躇していたその時、バスルームから美帆が出てくる物音がした。真一は慌ててスマホをソファの上に投げ出した。
「真ちゃんもお風呂どうぞ〜」
ドレッサーのある寝室から美帆の声が聞こえた。服を着て髪を乾かして、居間に美帆が戻ってくるのは15分後ぐらいだろうか…。そんなことを考えているところに、体にバスタオルを巻いただけの美帆が慌てた様子でやってきた。
「私、スマホ置きっぱなしにしてなかった?」
「あれじゃないの?」
真一がソファの上を指差すと、美帆はひったくるようにスマホをつかみ、すぐに寝室に戻っていった。
真一は美帆の浮気を確信した。
元々、お互いのプライバシーを尊重する真一と美帆は、特にルールをつくったわけでもないが、結婚前も含めて相手のスマホをこっそり見たりすることはしない。ハガキですら宛先が自分でなければ見ないようにしているぐらいだ。相手を信用しているというよりは単純にそれがエチケットという認識だった。
それなのにこんな形で、しかも知りたくもないことを知ってしまうとは。
「先に寝るね。お風呂冷めないうちにどうぞ。おやすみなさい」
美帆はメッセージを見られたことには全く気づいていないようだ。