埼玉県の離婚弁護士 レンジャー五領田法律事務所

プラトニック夫婦④

プラトニック夫婦

大地と海斗はすくすくと成長し、幼稚園に入る歳になった。由香には少しだけひとりになる時間ができたけれど、その時間は結局掃除や買い物に充当されることになり、なかなかのんびり骨休みするというわけにもいかない。
それでも子育てにもいくらか慣れ、少しだけ気持ちの余裕ができた僕は、ふと、僕たち夫婦がもう何年もセックスはもちろんキスすらしていないことに気がついた。本当はそんなこととっくにわかってはいたんだけど、あえてそれを直視することがなかった。由香にとっては子ども達が眠った後のほんの束の間が唯一ひとりで自由にできる時間なのだから、ゆっくりと休ませてあげたいという気持ちから、あえてそういう状況を避けていたところもある。
けれども正直な話、僕自身は、まだまだ現役の男盛りだと思うし、性欲がなくなったわけでもなく、男は文字通り実際に溜まるものもあるわけで、そんな時はネットに落ちているAVをおかずに時々こっそりと自分で処理していた。

もちろん、由香にも欲求はあるだろう。
健康で成熟した女性である由香に性欲がなくなったはずはないと思う。遠距離時代はふたりで存分に楽しんでいたし、不感症なんてこともなく体もそれなりに開発されてセックスの快感はちゃんと知っているはずだ。それは夫として断言できる。
家庭外に男をつくる時間もないし、考えられることは、そういう欲求を無理矢理押さえ込んでいるか、僕のように自分でこっそり処理しているか。あるいは、40歳になる直前に子どもを持った僕たち夫婦には「若くないんだから、その分しっかりと子育てしなければならない」という無言のプレッシャーがかかっていて、特に由香の場合手抜きができない性格上、子育てに没頭するあまりセックスに対する興味を失いかけているということもあるのかもしれない。
僕の場合、まだまだ男盛りとは言ったものの、実は妊活中の義務的なセックスがあまりにも苦痛だった記憶が強く残っており、由香を性的対象として見れなくなってしまったところが少なからずあった。セックスがないならそれでもいいやと思う自分もどこかにいる。それは由香も同じなのだろうか。

そんなことを考えなからも由香に言い出すこともできず、完全なセックスレスのまま、さらに1年が経過したある日のこと。
雨降りだというのに急に取引先に行く用件が入ってしまい、靴がビショビショになってしまった僕は、出先がたまたま家の近所だったこともあって、靴を履き替えようと家に戻った。家は留守だった。ちょうど由香が幼稚園に子ども達を迎えに行ったタイミングだったようだ。

靴下を履き替えるために衣装タンスのある寝室に入った時、ふと目をやったベッドの上に、花柄のタオルに包まれたあるものを見つけてしまった。
タオルに包まれていたもの…それはキュウリの形をしたバイブレーター、いわゆる女性用の大人のおもちゃだった。
色も大きさもちょうどキュウリと同じぐらい。実際のキュウリと同じく表面には小さなイボイボがたくさんついている。そのキュウリの上には小さなカッパがしがみつくような格好でまたがっていて、ペロンと長い舌を出していた。スイッチを入れるとキュウリはクネクネとうねり、カッパの舌はブルブルと振動する。バイブレーターはAVで何度も見た事があったけど。実物を手にとってみたのはこれが初めてだった。使用直後だったらしく、わずかに生々しい女性の匂いが残っていた。

ああ、由香はこれで欲求を満たしていたのか。そうか、これならひとりになれる時間がほんのわずかでも、相手がいなくても事足りるな…。ずっと気になっていた疑問がやっと溶けた。
僕の手の中でギュイーンギュイーンと音を立ててのたうつキュウリの振動を感じながら、なぜか僕の目からは涙があふれてきて止まらなかった。
由香が母親になっても普通の健康な女性だということがわかった安心感?こんなものを使わなくてはならない彼女に対する不憫さ?夫として男としての申し訳なさ?それともキュウリとカッパに対する嫉妬?僕自身にもその涙の理由はよくわからなかった。

ふと我に返った僕は、キュウリをベッドの上に戻し、濡れた靴下は脱衣カゴの下に押し込み、家に帰った形跡を残さないように注意して、由香たちが帰ってくる前に急いで会社に戻った。

由香にもちゃんと欲求があること、それをこっそりと自分で処理していたことがはっきりして実際は安心した部分も大きい。要するに僕と同じってことだ。全然悪いことではないし、誰かに迷惑をかけているわけでもないし、由香に確認したり問いただす必要もないことだ。僕は今日知った事実は胸の奥にしまうことにした。ただ、それからはキュウリを見かけたりカッパという言葉を耳にする度に、ついそのバイブレーターを思い出してしまうのにはちょっと困った。