埼玉県の離婚弁護士 レンジャー五領田法律事務所

プラトニック夫婦②

プラトニック夫婦

僕たちの交際は、すでにお互いの両親には周知の事実で、そのうち結婚するんだろうと思われていた上、ある重大なミッション遂行のために結婚話は待ってましたとばかりにトントン拍子に進んだ。僕は新生活のために少し広い家に引越し、由香は会社を辞めて上京、先の電話から4ヶ月後には地元金沢で式を挙げた。披露宴では、由香の母親の家に代々伝わる加賀友禅の引き振袖を着た花嫁の艶やかな姿が今でも僕の脳裏に強く焼きついている。新婚旅行は1週間沖縄へ。準備期間が短かったこともあり、国内で、その代わりうんと贅沢しようという思惑は天気にも恵まれズバリ的中した。
そして、東京でのふたりの新婚生活が始まった。と同時に例の重大ミッションもスタートしたのだ。 
僕と由香が付き合い始めたのはふたりが36歳の時。結婚した時僕たちはもう40代を目前にしていた。
そう。僕たちに与えられた重大ミッションというのは『子づくり』だ。

僕も由香もいつかは結婚して子どもをもうけたいという希望はあったけど、ふたりとも仕事中心の生活になっていたり、たまたま相手に恵まれなかったりで婚期を逃しかけていたところでの電撃結婚だったので子づくりは喫緊の課題だったわけだ。この結婚話が一気に進んだのも、お互いの両親の「早く孫の顔が見たい」という希望に強く後押しされていたのは言うまでもない。
由香は由香で、すでにママになっている地元の友達から「早めに第一子を産まないとお産が大変」だとか「体力のあるうちに産まないと子どものパワーについていけない」など数々の有難いアドバイスをもらっており、元々生真面目な性格の由香はかなりプレッシャーを感じていたようだ。

いわゆる「妊活」を始めて最初の頃は、コンドームを使う必要がないのがちょっとうれしいぐらいだったんだけど、すぐに義務感を伴うセックスはつまらないと思うようになった。生真面目な由香はいろんな本やネットから情報を集め、毎日基礎体温を記録して居間の壁に下がってるカレンダーに、妊娠しやすい日を毎月赤いマジックで大きくSと書き込むんだけど、それが目に入るのがだんだんうっとうしくなってきた。ある時なんか、残業で疲れて帰って、風呂に入った後すぐに寝ようとしたら「今日はやる日だからね」と言われてイラッとしたこともある。それ以来、出勤前玄関口で「今夜はやる日だからね」と念押しされるようになって朝からウンザリすることもあった。

結婚前は当然避妊していたわけだけど、いざ子づくりとなるとなかなかうまくいかないもので、すぐできるだろうとたかを括っていた僕はだんだんセックスが苦痛になってきた。言葉にしなくてもそういう気持ちは伝わってしまうもので、「これは私たちふたりのため、そしてお父さんお母さんへの親孝行にもなるんだから協力してもらわないと困るの。私だって辛いんだから」と説教されてしまう始末だ。
由香の言うことは全く正しく、僕は1ミリも反論できないんだけど、半年が過ぎる頃には、僕たち夫婦のセックスはもうすっかり単なる子づくりのためだけの行為になっていた。

ある金曜日、夕食のテーブルにすりおろした山芋とスライスニンニクがたっぷり乗ったカツオのたたきが並んだことがあった。その日、会社で部下がつまらないミスを犯したことでイライラしていた僕はつい、カツオを一切れ箸につまみながらこんな嫌味を言ってしまった。
「あれ?カレンダーには印ついてないけど今日はやる日だっけ?これ食べて今夜もがんばってくださいってか?さすが由香、抜け目がないな」
その時の僕はとても醜い顔をしていたと思う。由香は悲しそうな表情で一瞥をくれただけで、何も言わず寝室に引きこもってしまった。
実につまらない失態だった。由香は自分のできることを一生懸命にやっているだけ。失言を謝り、これからもふたりでがんばろうと話したものの、この出来事はこれからも由香の心にしこりとなって残るだろう。余計なことを言ってしまったと心から後悔した。

結婚と同時に妊活が始まり、結婚生活が最初から辛いものになってしまった僕たちは、このままではきっとダメになってしまうという危機感を抱いた。後でわかったことだけど、僕の仕事中に金沢の母親から電話がかかってきて、遠回しにプレッシャーをかけられたことも度々あったらしい。由香は苦しむために僕と結婚したんじゃない。なんとかしなくちゃいけない…。

妊活を始めて2年が経とうとするある日のことだ。
「ねえ、今度一緒に病院に行ってもらえない?」
「そうだな。実は僕も同じこと考え始めてたんだ」
「こんなにがんばってるのにできないってことは、どこかに問題がある可能性もあるでしょう?西新宿にいい病院があるらしいの」
僕の仕事が休みの土日がいいんだけど土日はすごく混むということで、2週間後の月曜日に有給をとってふたりで病院に行くことにした。

ところが、病院に行く前日の夕食中、突然由香が言った。
「違うかもしれないけど、私、妊娠したかも」
「え?」
「しばらく生理が来てないの。私、生理はいつも規則正しくて今までこんなに遅れたこと一度もないのよ。それに今回は生理が来る感じが全然ないの」
翌日、ふたりで病院に行き、はたして由香が妊娠5週目に入っていることが判明した。

うれしかった。本当にうれしかった。由香とふたりでお医者さんの前で手を取り合って喜んだ。由香は泣いていた。ただ、いささか不謹慎ではあるけれど、子どもができたという喜びと同じくらい、いや、もしかしてそれ以上にあの妊活の苦痛からやっと解放されたことがうれしかったのは由香には内緒にしておこう。

苦労して授かった子どもに万一のことがあってはいけない。僕と由香は細心の注意をはらって妊娠期間を過ごした。金沢からお互いの母親が何度も上京してきて由香をサポートしてくれたのもとても有り難かった。