私はその時、遅れて来た青年の末期に差し掛かっていた。今から振り返ると、29歳という年齢は頗る若い。天文学的というまでは少々老いてはいるが、十分、若者の部類に入る。とは言え、今の私はもう語るまでもなく29歳ではないから、29歳がヤングかオールドかをここで語るのは遠い親戚が醤油顔かソース顔かを語るより遥かに不毛な論議だ。その日は確か水曜日か木曜日だった。2005年の2月17日の夜、私は部隊に外出届を出して代々木第二体育館に向かっていた。駅に着くと真冬の木枯らしが誰かが捨てていった夕刊をほぐし、落ち葉が統制の取れた船虫のように風の吹く方向に移動していて人影は疎らだった。会場に着くと、既に第4試合が終わっていた。「道理で。」と明日で30歳になってしまう私は言った。その大会の主催は新日ではなく、全日だった。後にも先にも全日の試合を観に行ったのはその時だけだ。会場に入ると、私が異邦人であることがすぐに理解出来た。全日に引き抜かれた小島が豪腕ラリアットに入る前のサポーターを外す仕草に観客席から叫ばれるお決まりの「行っちゃうぞバカ野郎」の一斉は新日のタイミングと全く違うものだった。私は達観して2階席の背凭れのない椅子に座って項垂れながら少々不貞腐れた。そして新日ファンとしての細やかなプライドと共にメイン以外は下らないと思うようにした。私はノアの抜けた全日を確認しに来たのでも、武藤が社長を務める全日を見に来たのでもなく、メインの「武藤対棚橋」を観にそこに来ていた。私は全日のイベントで武藤に新日の若きカリスマ棚橋が挑戦するという情報を聞きつけその席に座っていた。私の中には様々な武藤敬司がいる。グレートムタはもちろん、スペースローンウルフ武藤、初のG1の決勝で蝶野にパワーボムで負けた武藤、スコットノートンとの死闘の末に膝を手術した武藤、高田と世紀の一戦を繰り広げた武藤、そしてNWO武藤。彼らは全て一人の武藤であり、流行歌を聞いてそれを口ずさむように、それぞれの武藤を通して私は当時の自分を振り返る。しかし、武藤が新日本を離脱した後、私は不思議と武藤の影は愚かその足跡すら追わなかった。自衛隊に入隊し、レンジャーという新たなる称号を得て自分自身の人生をしっかりとした足踏みで歩んでいた。そう言えば聞こえはいいかも知れない。少なくとも確信を持って言えることがあるとすれば、新日離脱後の武藤を通して私は当時の自分を振り返ることは出来ないということだ。そうした2005年2月17日の夜に私は再び武藤敬司と遭遇することになる。というよりも、明日で30歳になるという神聖なイブに私は武藤の幻影との再会を選んだのだった。対戦相手の棚橋はIWGPのタイトルを奪取する前で気楽に他団体の選手に挑戦出来る自由とマケドニアで発掘されたギリシャ彫刻のような肉体を誇示し、何より解禁されたての鮎のような若さがあった。年こそ違わなかったが、純粋な加齢の恐怖に怯えている老いた自衛隊員とは雲泥の違いがあった。試合は武藤が何度もスリングブレイドを決められ、格下の棚橋の技を受けるという展開が続いた。とは言え、新日本離脱後にシャイニングウィザードを開発し、数多のフィニッシュホールドを有する武藤が勝つことは目に見えている。ブックを破るようなシナリオもある訳ではない。私は久しぶりの武藤の幻影に陶酔し、アンケートのチェック欄が一つ上になってしまう不安を緩和したことに心の底から満足していた。武藤が棚橋のハイフライフロウを受け、カウントが始まったその時だった。
「武藤、返してくれぇ」
それは啜り泣くような声だった。
「武藤、お願いだ。」「頼むから返してくれ、武藤。」
私はハッとして声の出どころを探した。アリーナ席と異なり、2階席の観客は疎らだった。私はすぐに声の出どころを見つけた。それは50手前のグレーのスラックスにYシャツを押し並べてインするようなタイプの禿頭の男だった。男は顔を覆い、その指の隙間からスポットライトに照らされた武藤と棚橋の闘いを見つめていた。驚いたことにその男は涙を流しながら、総合格闘技全盛のその時代において、勝敗が既に決まっているプロレスの試合を覆った指の隙間から恐る恐る観ている。プロレスを観戦する時点で当直の上官にバカだと言われたプロレス会場の薄暗い2階席で私は自嘲を込め「バカだな。」と口にした。若い棚橋の猛攻を凌いだ武藤は棚橋をシュミット式バックブリーカーに捉えた。そして、人差し指を小刻みに動かながらコーナーを駆け上がり、ランディングボディプレスに移行する。武藤の所有する勝利の方程式の一つだ。しかし、それは寸前で棚橋に交わされ、自爆した武藤は膝を強かにマットに打ち付け苦悶した。在り来たりのワンシーンだ。しかしながら、男は屠殺される寸前の牛のような叫び声をあげた。そして立て続けに啜り泣くような声を出す。
「武藤、勝ってくれ。」
「後生だから、武藤。」
私はメインイベントよりも男の方が気になり始めた。そして、技の攻防の後に観客が騒めくとリングと側頭部まで禿げ上がった男の後ろ姿とを行ったり来たりと視線を交互させた。勢い付いた武藤は棚橋の膝に低空のドロップキックを見舞う。もんどり打った棚橋が立ち上がり様にゆっくりと片膝を付く。シャイニングウィザードの体勢だ。これが決まれば勝負は終わりだ。「ほら、終わりだ。武藤が勝つぞ。良かったな。」そう思いながら男の方を見ると、男は完全に首を垂れて項を抱え込んでしまい身体全体を武藤の立てた人差し指のように震わせていた。そして、相変わらず武藤、武藤と掠れた鳴き声をあげていた。「何やってんだ。次がフィニッシュだ。ちゃんとみろよ。目を開けろ!」私は試合ではなく男に声無き声を挙げていた。放たれたシャイニングウィザードは棚橋の頬に炸裂した。ところが、必殺技を喰らってグロッキーになった棚橋に武藤はカバーに入らず天井を見上げている。そして、途端に何かを思い付いたような表情を浮かべた武藤は脱兎のようにコーナーに駆け上がり、半身になって横たわる棚橋にランディングボディプレスを敢行した。3カウントが入った。会場に熱狂はなく、どちらかといえば手垢に塗れたお伽噺を改めて最初から辛抱強く読み聞かせられ、ラストのめでたしめでたしに辿り着いたことに対する歓喜を上げていたように感じた。他方で、男はさっきまでの震えが嘘だったかのように勝ち名乗りを受ける武藤に戦場から帰還した兵士に送るような喝采を送っていた。そして、何度も「武藤、ありがとう。」「武藤、ありがとう!」と叫んだ。私は2階席に私と男以外は誰もいなくなるまで男を見続けた。
翌日、私は30になった。そしてその年の夏に自衛隊を辞めた。自衛隊員という地位がなくなり甲羅を剥がされた蟹のようになった後、大して胸を張れるものではないものの幾多の難局が30を過ぎて無職になった私を迎えた。その際、私の胸に去来するのはどこかの偉人が言い残した大言壮語でも、レンジャーバッチを獲得した過去の栄光でもない。不思議なことに30になる直前に聞いた「武藤、勝ってくれ。」「返してくれ、武藤」であったり「武藤、武藤」「武藤!」であった。過酷な現実に押し潰されそうになった私の元に、あの青春の帳が下ろされる直前に聞いた禿げ上がった男の叫び声がどこからともなく届く。若き棚橋が猛攻を仕掛けて来る。3カウント直前で独特の返し方で肩を上げるのは武藤ではなく私だ。苦境に立たされている私にあの男はエールを送っているだろうか?そうやって2005年2月17日の武藤と私自身とを重ね合わせることにより私は蘇る。そして、その都度、私は私の息を吹き返して来たのだ。