男の離婚弁護士の美学〜シリーズ①

第1章 不惑の地図

1 ハイボールを飲む時間が好き

ハイボールは味わいたいから飲むというよりも、飲む時間が好きなんです。時には無理に落ちつきたくて飲むハイボールもありますが。よく行きつけの店はどこですか?って聞かれます。適当な店を出して紛らわせますが、よく行く店は近所のローソンです。何も言わずに同じ濃さのハイボールを出してくれますよ。もちろん店で飲むこともあります。でも繊細なんですかね。炭酸が抜けていたり、薄かったりするともう家に帰りたくなる。何だかガッカリして、目の前にいる人の顔さえ見たくなくなるんです。ぶらっと入った店でハイボールを頼んで、特段洒落てもないチェーン店のラストオーダーで「濃さはどうなされますか?」って聞かれたことがあります。どきっとしましたね。自分の繊細な部分、もっと言えば恥部を曝け出されたみたいで。少し考えたふりして「じゃぁ濃い目でお願いします。」って言いました。

2 勝っても負けてもいいから、戦ったってのが大事

自衛隊を辞める前に同じ部隊の奴から「サンボの試合に出ませんか?」って誘われたことがありました。もう前十字をやってたから気乗りはしなかったけど、二つ返事で「出るよ。」と言いました。行ってみるとそれが全日本の大会でね。一回戦の相手はプロの格闘家でした。試合が始まって低く構えていたつもりだったけど、瞬きしたらもう懐に相手の残像があって。プロって凄いなぁと思った同時に腕とられないようにフォールされに行ってる自分がいてね。そのときは戦士として酷く恥ずかしかったです。でも不思議なもので。今は全くそうと思いません。勝っても負けてもいいから戦ったのが大事なんだと思ってます。だからと言うわけじゃないけど「私の勝率はどのくらいでしょうか?」って聞いて来る人は、正直言って苦手ですね。

3 神様なんていない

弁護士になってよく面倒見てくれる人がいて、本当に感謝しています。その人がよく使うフレーズで「神様なんていないと思った。」と言うのがあります。ボクはそのフレーズが好きで。色んなところで出て来るんだけど、毎回そのフレーズを言うときだけは真剣になるんです。とても好きなんですよね。と或る刑事裁判で二十歳手前でシャブ打って60過ぎて初めて掴まった奴の弁護をしたことがあります。孫と初詣に行く前にシャブ買って、お年玉が入った財布落としたんで交番行ってそのまま掴まったんですね。そんな漫画みたいなことがあったんですね。でも次第にそいつは悪いことしてるのに掴まらない自分自身を通して「神様なんていない。」と思っていたんじゃないかと考え始めたんです。本人はそうじゃないって言ってたけど…。だから最終弁論では「被告人は交番まで神様に会いに行ったんです。」って言いました。検察官はおろか裁判官まで笑ってましたね。ボクだけが真剣でした。

4 クリスマスは、なくなってくれればいちばんいい

僕は大体、クリスマスは好きじゃないんです。学生のとき、アルバイト先で彼女の居ない奴は決まって店頭でサンタの格好してケーキを売らされるじゃないですか。アレが嫌でねぇ。クリスマスが近づくと途端に女から電話が来るようになって。分かっているけど嬉しくて「ねぇ25日のシフト替わってくれない?」って言われて。クリスマスってはっきり言って欲しかったですね。替わったらイイことがあるかと思ったけど一度もなかったです。25歳で初めて出来た女にも確かクリスマスに振られましたね。「ブザンの学園祭に行っていい?」って不発弾処理中に言われたんです。だから未だにピンクのラインが入った鞄を持ってる高校生をみると具合が悪くなります。クリスマス、なくなってくれればいちばんいいなと思うんです。

5 身を削っても相手のことを気づかう女ひとに惹かれる

ぼくが惹かれる女性ですか。男なんて単純なもんで、セックスをさせてくれる若返った母親が理想の女性の相場でしょう。それでも敢えてもう一つ理想を言えば、身を削っても相手のことを気づかう女に惹かれますね。ただ、現実にそんな女性と縁がある訳はなく、観音菩薩みたいにソファに横たわっている女がただ一人家にいるだけです。それでもセックスはさせてくれるので、見ようによれば理想の女を手に入れたのかも知れないって思うときがありますね。そう思った日の夜は当然ですが、燃えます。

6 男性専門の離婚弁護士について

(男性専門の離婚弁護士が増えていることについて)あぁ、そうなんですか。確か10歳位のことでしたかね。家で使ってたテレビが壊れたんです。母親は弟を身篭っていたんで、父親と私と妹がビデオデッキを買いに行きました。父親は隣町の電気屋の店員の口車に載せられて、丸と三角と四角がボタンになっているデッキとともに特売のビクターのテレビを買ったんですね。帰りの車中で「お母さん怒るかなぁ。」って父親は心配そうな顔付きでぶつくさ何かを口走っていたのをよく覚えていますが、私と妹は何がなんだかわからなかったです。帰るとどうやらソニー信仰者だった母親が「なんでメーカーじゃないのを買ったんだ!」って広島弁で激怒して、そこから百年戦争を思わせる修羅場が始まりました。それでも、父親は一顧だにせず、私が弾いていたピアノの下に布団を敷いて寝るようになったんです。何度も「お父さん、一緒に寝ようよ。」と言ったけど、若かった父親はただ横を向いて黙って目を瞑っていました。そうしたところ、学校から帰ったら母親が身支度をしていて「これからこの家を出てくよ。」と言ったんです。妹は既に身支度を済ませていて、私の荷物も整えられていました。でも、私は母親に対して毅然と言いました。「お母さん、悪いけどボクはここに居るよ。」って。最近ボケかけた母親にその時のことを聞いてみたら、カッと目を見開いて言いました。「お前は金をとったんだ!あの時は心底、お前みたいな薄情な息子はいないと思ったね。」って私のことを罵るんです。でもまだ10歳ですから金の価値なんて当然分かりぁしませんよ。ただ母親の立てた別居計画はまだ10歳だった私の目から見ても稚拙で独善的だったし、何より私の弾くピアノの下で目を瞑って黙っていた父親の顔が脳裏に刻み込まれてました。若い弁護士が男の味方だなんて言うのは自由だけど、男の味方をするってそんなに簡単なものではないと思います。

つづく

 

レンジャーGが訊く③〜父親たちの旭日旗

加藤克典(偽名)43歳、兜町にある外資系証券会社のバイスプレジデント。「受験戦争という言葉は実際やってみると腑に落ちるものです。親子で戦争に行ったような気分です。受験の足音が聞こえて来るにつれ、子供は円形脱毛症、私は耳鳴りに苦しむようになりました。」と彼は話し始めた。

「志望校はR4偏差値55前後の準御三家レベルの学校でした。結果ですか?見事に全滅しましたよ。2月1日からの五連戦、文字通り東京を駆けずり回りました。」

「大卒の母親はお前はバカが好きだから仕方がないと言います。間違ってはいませんが、当たらずも遠からずと言ったところでしょう。私はバカが好きなのではなく、巨乳が好きなのです。巨乳がバカだということは偏見ですし、私もそう思ったことは一度もありません。しかし、聡明な女性は概して貧乳であることはほぼ間違いないと思います。」

「大体、私の母親は…母親でなくてもいいんですが、結婚すると恋愛時代の過酷さを忘れてしまうんです。あるじゃないですか、女を紹介してあげた奴がいつの間にかその女と結婚してて「結婚式挙げなかったんだね?」と訊くと「挙げたよ。」って言われるアレですよ。この話は極端で、しかもズレてますが、恋愛時代に聡明な良妻賢母になりそうな女を選ぶ男なんていませんよ。大概の男は白いコートを着た母親と買い物に行くようなポニーテールの女に群がってしまうんです。実際そんな女は結婚しちゃいけないような地雷女だなんて分かりはしない。埼玉県か静岡県出身のO型で兄がいない姉の女性を探そうとすれば、靴は金の草鞋じゃ足りません。しかも巨乳ですよ。そんな女と私みたいな性的魅力のないアトピー気味の男が結婚して子供を設けたこと自体が奇跡なんです。私の母親は全く分かっていないんですよ、恋愛市場の過酷さが。まぁ、母親じゃなくてもいいんですが…。」

「子供に社会の勉強教えていて色んなところに吉田茂が出て来ることに驚きました。吉田茂がタイムスリッパーなんじゃないかと思う位色んなところに出て来るんです。5回目くらいから笑えなくなって来て、7回目に間違えた時は平常心を失いました。でも、よくよく思い出してみると私が小学校のときは近所のドブ川で釣った魚に爆竹噛ませて町中の郵便ポストにぶち込んでいましたから当然卒業するまで吉田茂なんて知らなかったと思います。中学受験をした奴もいたとは思いますが、全く記憶がありません。クラスで一番偉いやつはドラクエ2の終盤の地下ダンジョンをノーミスでクリア出来る奴でした。心の底から神様だと思いましたね。」

「最近流行の教育虐待ですが、私見を述べさせて貰えば教育そのものが虐待です。特に中学受験は出題される問題そのものが虐待レベルの異常空間です。それに挑戦する訳ですから多少の歪みは、織り込み済みのように感じます。もちろん名古屋の事件は知ってますよ。受験中は新聞やニュースを見る余裕がありませんでしたから、後で知りました。私はあの父親の気持ちが、その息遣いまで手に取るように分かる気がします。いや…すみません。私は受験では幸か不幸か挫折を知りませんから、手に取るように分かるというのは撤回します。ただ、TVのコメンテーターが言うことには正直吐き気がします。あの父親は息子の中学受験を通して薬剤師の父親を乗り越えたかったんですよ。スターウォーズのルークスカイウォーカーみたいなものです。「ウソだ!ボクのお父さんはダースベーダーに殺されたんだ!」って実の父親と闘いながら叫んでたんです。そして「ルーク、私が父親だ。」って言われたかった。ひと世代を隔てて自身のカタルシスを得たかったんです。気づいたら子供が死んでいた。気づいたらと言いましたが、2回心臓を刺していますから、殺したくて殺したんだと思います。絶対に勝てない父親の幻影が現れ、それを刺し殺したんです。これは自家撞着な上に極端で、しかもズレてますが、当たらずも遠からずだと思います。いや…当たっていると思いますね。」

「子供の円形脱毛症はいつの間にか治ってました。受験時代の名残で子供と深夜にプロレスを見ていた時です。その試合はタイトル戦のラダーマッチだったんですが、兎に角面白くて二人で腹を抱えて笑ってたんです。挑戦者がパイルドライバーの態勢に入った時に徐に子供テッペンを弄ったらハゲはどこかに無くなっていました。私は深夜に勉強が終わると子供を風呂に入れ、必ず子供の頭をマッサージしながら洗っていました。シャンプーを洗い流す時になんかおかしいなと思って毛の向きとは逆にシャワーを当てた時に脳天に出来た白い地肌を見た時の戦慄は今でも覚えいます。私は必死に笑い泣きをしているように見せ掛けて泣きました。ホントに良かったって思いました。」

「私の耳鳴りですか?まだ相変わらずです。一時期の金属音のような耳鳴りは止みましたが、暫くは治らなくていいと思っています。名古屋の父親がどこかの刑務所でそうしているように、私は私のこの耳鳴りを聴きながら静かに贖罪をしているのでしょう。これが勝手な言い分だとすれば一生治らなくてもいい。この罪がどこかで贖われた時に治ればいいってそう思っています。」

ご報告〜弊所代表のNHK出演

弊所代表が来たる令和2年2月12日に逆DVに精通した専門家として国営放送に出演することになりました。法治国家であるが故の司法の闇、その闇に日々挑戦的に斬り込まんとする弊所全体の姿勢が評価されたものだと思います。乞うご期待です!

滝行のご報告〜令和2年元旦

謹賀新年

レンジャー恒例の滝行を無事終えることが出来ました。とは言え、年末の駆け込み尋問により疲弊し切った体力と「滝行やりたくない。」と嫌なことを言葉にしてしまうメンタリティーが我々と滝の前に巨大な壁となって立ちはだかりました。このシナリオをアベンジャーズのドクターストレンジばりに予見していた弊所代表はメンバーに厚めの運動着をオーダー。従前の怪しげな山伏エイエイの代わりに永遠を思わせる古典的なプッシュアップとヒンズースクワットが誰も居ない滝をバックに始められたのです。各々が何をしに滝に来たのだろうかと思い始めるに至った頃、遂にその時がやって参りました。どこからともなく突撃の号令が掛かり、一糸だけ纏った身体になって滝に忍び寄った時の最期のプッシュアップが何と愛しかったことか。冷気と空気の薄さは想像していた通りでした。従前の偵察で左回りのルートより、直接滝の落ち込みに入る右ルートを選らばなければおよそ成功はないとアベンジャーズのドクターストレンジばりに予見していた弊所代表は迷うことなく右ルートを選択。入所試験を兼ねている73期東京修習ヒデ・ハヤシが「父親の形見だったので…。」という理由により滝直前で靴を脱ぎ出して転ぶというタイムストーンでも予見出来なかったようなアクシデントに見舞われながらも、全員で滝の下の大合唱を行うことが出来ました。ヒデ・ハヤシも内々定を戴冠、以下は喜びの声でございます。

「滝に打たれしばらく、神秘的な感覚が私を包みました。呼吸がとっても深かったんです。息を吸ったり吐いたりすることがどうしてこんなにも心地よいものなのか。こんな体験は精通以来のことでございます。私はレンジャーで過去を完了し、必ず源の自分に会いに行きます。」

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

スパルタンレースBEAST!

来たる令和元年9月15日新潟ガーラ湯沢で開催されることになりました日本初上陸スパルタンレース〜BEASTにレンジャーの弁護士チームが挑戦することになりました。スパルタンレースとはアメリカ発、世界42カ国で参加人数が100万人以上、年間観客動員数30万人と世界をリードする障害物レースです。そのミッションは参加者を健康にすること、活発にすること、そして何より自分自身が変わっていくことに楽しみを感じさせることであり、競技を超えたライフスタイルの実現が目指されています。スパルタンレースにはSPRINT(距離5km・障害物25個)、SUPER(距離13km・障害物25個)、BEAST(距離21km・障害物30個)のメニューがあり、その内BEASTは最も過酷なレースで持久力、耐久力、勇気だけでなく精神性も試されます。予測不可能かつ巧みに設計されたコースや障害物は自身の限界を打ち破らなければ達成することが出来ないと言われています。例年の南国の島への事務所旅行を急遽変更してスパルタンレースに参加することになったのですが、その理由を代表弁護士は次のように述べています。「依頼者にどれだけ誠実に向き合えるか、その答えは南の島では絶対に見つからないと思ったんだ。泥んこを生傷に刷り込んだところでそれが見つかる訳じゃないってことはよく分かっている。でも、どちらかと言えばそっちだし、何より俺たちらしいんじゃないかって考えた。確証はないけど今後、このレースはレンジャーにとって踏絵のようなものになるような気がするよ。」皆様の熱い応援をお願い致します!

 

男の世界〜彼らとの出会い

人間の最も根源的な感情である恐怖を感じることが、鮮明でいつまでも色褪せない記憶となることは、誰も否定出来ないだろう。その恐怖の対象が人間ではなく、何かの生物であればそれはもっと鮮明なイメイジとして残ることに違いない。

このゴールデンウィークにふとしたきっかけで広島に帰ることになった。帰ると言っても私の実家は神奈川にあり、あまり好きな場所ではないが、厚木という場所に未だ存在している。広島には呉に母方の家があった。私はどちらかといえば、厚木よりも断然、呉の方が好きだ。呉には沢山のいい思い出あるが、その一つで母が生まれ育った海で魚を釣ったというのがある。

当時、私はちょうど小学6年生で夏休みは終業式から始業式の前日まで広島にいた。夕方塾から帰ると、やおら祖父に小銭を貰っては、その頃から腰が曲がり切った主人が営む釣具屋にゴカイを買いに行き、引き返しては山あいを背にした防波堤から独り魚を釣っていた。釣れる魚といえば、櫨が多かったが時にはカレイやアイナメが釣れた。櫨よりもカサゴが多かったかも知れない。カサゴが釣れると針を飲むので、仕掛けがダメになってしまう。防波堤には足で踏んで針を引き出そうとしたが、それが出来ずに踏み潰されたカサゴが干物のように散乱していた。

あともう少しで厚木に帰らなければならないという日、その日は昼過ぎから投げていたが日暮れに際しても一匹も釣れなかった。そして、夜のしじまが訪れた。釣竿を投げる防波堤の切れ目に街灯はなく、わざわざ少し離れた県営アパートの灯りを借りてゴカイを付けていたのだが、そんなゴカイも数える程になったその時、私の竿に嘗てないほどのアタリが起きた。糸の先で悶絶する魚の躍動を直に感じながら、私の心は今釣り上げられようとしている魚と同じように躍動したが、暫くするとその躍動に少なからぬ恐怖の色が帯びるようになった。そして、月明りに微かに照らされた得体の知れない魚が海面に現れ始めると私はウツボでも釣ってしまった、どうやって針を外して海に捨てようかと考えるようになった。その魚は今まで釣り上げた魚とは比べものにならないモノであることは確かなことだった。私は釣り上げた魚が尾鰭を懸命にアスファルトに叩きつける音を聴きながら、県営アパートの街灯の下に針をつけたまま持って行き、恐る恐る近づいて目を凝らした。私の釣り上げた魚はおどろおどろしいウツボなどではなく、薄暗い街灯に重ねた砂埃の上からも分かるほど綺麗な鴇色をした鯛だった。私は、街灯の下でピタピタと跳ねていた砂埃に塗れた鯛を今でも覚えている。幼少期の数少ない良い思い出である。

このゴールデンウィークに私が母親の居る広島に帰ったのは他でもない、妻が育休明けで病院に復帰したため、幼少の次男を看るものが居なくなったからである。祖父が死んで疎遠になった広島はつい最近まで高裁に事件が係属していたが、私は裁判が終わるとお好み焼きすら食べずにすぐに東京に戻った。かつての軍港都市である呉は私にとって、歴史上の都市を超え、地図上の都市に移り変わろうとしていた。

広島から呉線に乗り、かつて多くの戦艦を戦地に送り出した軍港都市のイメイジが色褪せない呉の風景を右手に見ながら母の家に着くと、私は子供からせがまれるより前にゴカイを買いに桟橋までの山道を蜻蛉返りした。腰の曲がっていた老人の店が廃業していたのは敢えて確認するまでもない。桟橋の大きな釣り具屋で投げ釣りセットとともにゴカイを購入し、その足で原体験を彩るあの防波堤に向かった。

子供に親である私の原体験を追って体験させようと勢い勇んで海に仕掛けを放ったものの、海はいつまでも静寂を貫いた。そしてあの日と同じように夜のしじまが訪れた。子供が「この海サカナ居ないね。」と言い始め、32年の時の流れを魚が釣れないという事実を持って知る他ないように思い始め、私自身、生じる可能性の乏しい原体験の再来よりゴカイのついでに桟橋のスーパーで買った32年前に私が釣り上げた鯛さながらに時めく鴇色のカープ酎ハイに心が傾き始めていた。

そして、私は防波堤に立て掛けていた釣竿を徐に取り上げ、やれやれとリールを巻き始めたところ、驚くことに幾ばくの手応えがある。ただ、それは心躍らせるようなものではない。藻でも引っ掛かったのだろうと巻き続けると、どうやら藻ではないのだと思った次の瞬間、たゆたう海面から人魂のようなものが現れた。不気味な違和感が私たちに伝染した。その違和感が確実なものとなったのは、何やら奇怪な生物を釣り上げたということが判明した後のことであった。それは、鯛でもカサゴでもない、およそ20センチ近くの軟体生物であった。不気味な感覚は見るもの全てに伝染しただろうし、御多分に漏れず私たちに叫び声を上げさせた。「地球外生命体が釣れた。政府に報告しよう!」と子供が叫び、私は真剣に思いつくまま官庁の連絡先を頭の中で選択した。結局後で分かったことだが、その軟体生物は赤ナマコだった。ただ、その時アイフォンの光に照らされた軟体生物は子供が言うように既に不惑を過ぎている私の目からしても地球外生命体にしか見えなかったのだ。「動いているよ、今動いた!」と子供が叫んだが私が竿を持っていたためそう見えているのは分かっていた。ただ私自身左臀部に不気味な生暖かさを感じ、眼前の地球外生命体が人智の及ばぬ能力で私の左臀部に乗り移ってきたんだと思い、ギャッと叫びをあげたが、その生暖かさは子供が寒いと言ったことで母の家から持ってきた携帯用カイロの温もりであった。私は、子供の前で威厳を喪わせた赤ナマコに怒りを抱いた訳ではなかったが、父としての最低限の名誉を確保するため、その奇怪な生物を仕掛けごと海に蹴落とした。赤ナマコは釣り上げられたときと同じく人魂のように漆黒の海にゆっくりと沈んで行った。

その3日後、私は他の子供と一緒に沖縄県の宮古島にいた。名目は、来年の中学受験のための勉強合宿ということだったが、モンスーンのような大雨の中で私は琉球泡盛に酔い潰れ、深夜目を覚ますと、子供はリゾートホテルのwi-fiを利用し、目を爛々に輝かせてiPadのゲームに興じていた。翌日、取り繕うように勉強を見た夕方、折角だから海に出ようという話になった。

まだ5月とはいえそこは南国の島、海に入っている人は少なくはなかった。皆、シュノーケルで何かを探していたが、何を探しているのかは予備知識も興味すらなく、ただただ恐妻或いは恐母から逃れてこの島に辿り着いた私たちには知る由もなかった。子供が海に入り小魚を追いかけている間、私は浜辺でカールゴッチ式プッシュアップを延々と繰り返した。浜辺でプッシュアップを続ける中、身体を外らせる度に少し離れた沖の大きな岩が飛び込んで来て、徐々に私の意識を占領し始めた。その岩は浜からどの程離れているかは目視では分からなかったが、恐らく私の背丈からして足が付かない位置にあるのは明らかであった。ただ私は岩まで泳ぐという囚われた願望から逃れられないことを早期に悟り、海に入った。そして、小魚を追う長男に向って「今からあの岩まで泳ぐから見ておけ。」と朴訥に伝えた。

取り敢えずは足の届く場所まで行こうと海の中を歩くと、火山の噴火で出来た島ならではゴツゴツした岩が私の平常心を苦めた。海面が顎に達し、そろそろ泳ぎ始めようとしたところ、ふと後ろを見ると子供が私の腕にしがみ付いている。私があの岩まで泳いでもそれを見届ける人間が溺れ死んでは元も子もない。そう思った私は慌てて引き返し、そのくだりを3回ほど繰り返したのち、私は「動くな。そこから見ていろ!」と子供を激しく牽制した。そして、子供がまだ胸元辺りの位置で止まっているのを確認しながら自らの下唇に海面が届くか届かないかのところまで進み、私は初めてその岩に向かって泳ぎ始めた。浜辺から見る波と実際に沖に出て見る波は全く違っており、浜辺から見る漣は沖で泳ぐとまるで時化のそれにも思えた。既に午後5時を回っており、シュノーケルで何かを探していた観光客もハケてしまい、眼前には私と岩以外ただただ沖の方に向かって海が広がるだけだった。

そうは言っても、軍艦を魚雷で駆逐されて死ぬことを一時猶予された水兵のそれとは違うリゾート地での思いつきの遠泳である。本の先にある岩まで泳いで、岸まで帰るだけだ。そう思いなす私の眼前に突然、思いもよらぬ生物が現れた。それはあまりにも思いもよらぬ生物であり、成人後の自衛隊で初めて泳ぎを覚えた私の正気を奪うのに十分だった。水族館やニュース映画でしか見たことのないウミガメが悠然と私の前に姿を現したのである。岩まで泳ぎ、後は浜に戻って父親として見せ付けた尊厳を奏で直すだけだと思っていた私が思いがけず遭遇した生物に私は完全に我を失った。そして突如、私は自身が溺れるか、ウミガメが死ぬかの二者択一の構図に襲われて後者を選択し、渾身の力でエルボーをウミガメに叩き付けたのである。

渾身のエルボーは当たったか分からず、ウミガメが静かに海の中に消え行くのだけを私は眺めた。その後、私は更に冷静さを喪い、ウミガメがいるなら他の生物、例えば鮫や蛇、もっと言えば鯨、いや、謎の生命体すらいるやに違いないと思い、虎河豚のように不器用な旋回を見せた後、全速力で岸に向かってクロールを始めた。あまりにも全力でしかも殆ど息継ぎなしで泳いだため、砂浜が腹に当たるその直前まで自分が果たしてどこにいるかも分からなかった。そして、虫の息で砂浜まで辿り着くと、私の身体の四肢それぞれに生命が宿ったように脈打ち、痙攣するのが見えた。痙攣に任せ、ゲラゲラ笑いながらやって来た子供と飽きるまで半ば半狂乱になって、しまいには涙まで流してゲラゲラと笑い続けた。

あれから1ヶ月ほど時が流れたが、私は自身が放った2発の一撃を折に触れて思い出す。赤ナマコには間違いないが、あのウミガメにも私の放った一撃は当たったに違いないと私は信じている。赤ナマコが海の底でまだ生きているかどうか知る由もないが、あのウミガメにとって私のエルボーは何の痛手にもなりはしまいだろう。しかし、それでも尚、何かの折、彼の体の奥であの一撃は微かな疼きを誘うに違いないと私は想像する。それだけがせめてもの彼らと異なった生物である私からの彼らへのメッセイジなのだ。

独り雑事に疲れた深夜の事務所で、東京のバーでいたずらにマティーニを啜って帰る明け方の道の上で、或いは飽き飽きするほど冗長な判決言渡しの合間に、私はふとあの時出会った赤ナマコのことを思い、独りきりだったウミガメのことを思い出す。思い出すだけではなく、あの赤ナマコに、あのウミガメになりたいと無性に思うことがある。そして、その想像は私を蘇らせる。あの奇怪な生物になった私を、彼らになぞらえて思うことで、私はなぜか私を私自身として感じることが出来るのだ。一点、誰かが放った一撃に負うた小さく深い痛みを交えながら。その痛みを抱きながら、瀬戸内の漆黒の岩底で佇む私を、またあるいは、吹きすさぶ南風の中で滾った原始の海に落ちる紫の雷の閃光の中を激しい雨にうたれながら狙った獲物に向かって忍びよっていく私を、彼らになぞらえて思うことで、なぜか私自身として感じることが出来るのだ。

レンジャーGが訊く②〜「ADHD」新たな障害の誕生

責任だけが肥大し、男の尊厳や自負が時代の流れとともに剥奪されゆく現代。大方はそういうものだと諦めるが、他方で一矢報いようと頭を擡げる男もいる。そんな男達にインタビューする人気シリーズの第2弾。

田中光二、37歳、大手5大商社勤務。男は一体どんなやり方で一矢を報いたのか、レンジャーGが訊いた。

―父親も商社マンだったので、幼少期は海外で過ごしました。海外では自己主張するのが当たり前で、それもあってか集団行動に馴染めないヤツなんてザラでした。授業中に音楽を聴いてるヤツ、ガムを噛んでるヤツ、小説を読んでるヤツ。それでも何とか授業は成り立つものです。むしろ、それが日常の風景みたいなもので、カオスとともに調和が保たれると言った雰囲気があったと思います。確かに暴力はありましたよ。それこそギャングみたいな先生もいた。今ではもう暴力が御法度になってしまったようですが…。

暴力の追放に成功したように見える日本社会。果たして、それと引き換えに喪ったものはないと誰が言い切れるだろうか。

―マレーシアの海外出張から帰って来た夜のことでした。妻から話があると言われました。妻が言うには、当時小学校3年だった長男がADHDの疑いがあるから検査を受けて欲しいと学校から言われているとのことでした。そう、それです。広汎性発達障害です。それって病気なのかって聞くと、妻は多様性という言葉を口にしました。だったら検査なんて受けなくていいじゃないかって言ったら、どうやら機嫌を損ねたようで、それから一週間ほどは口を聞いて貰えませんでした。

男はエモーショナルな表情で目を細め、徐にソリッドに巻かれた莨に火を点けた。

―話を聞くと、長男は昼休みに木に登って本を読むんだそうです。昭和の頃、土曜の正午にやっていた独占女の60分のコメンテーターを全部足して頭数で割ったようなスクールカウンセラーが誇らしげに私にこう言いました。「あなたの息子さんはおそらくADHDです。」と。他にも集団下校中にセブンイレブンで唐揚げ棒を買って一人で食べていたと言いました。誰だってお腹が空けば唐揚げ棒の一本や二本食べたくなるでしょう。

ぺストのように出現した性善説が廻り廻って世の中はすっかり均質化の道を辿っている。その大きな流れには聖域がなく、学校教育の場にも少なからぬ影響を与えているようだ。そして一億総道徳自警団化により一切の有形力を封ぜられた聖職者。窮鼠猫を嚙むさながらに、叛逆の狼煙として創設されたのが新しい障害「ADHD」であるとしたら…。

―言いたいことは分かります。でも、世の中の流れがどうあろうと私の子が得体の知れないレッテルを貼られようとしているのは紛れも無い事実でした。私は妻の了解を丁寧に取り、地元のサッカークラブに長男を入会させたのです。

子供にどのようなスポーツをやらせるかは父親にとってセンシティブな問題である。どうしてサッカーを?との問いに男は静かに口を開いた。

―私自身もドイツではサッカーをやっていました。地区の代表まで行きましたが、碌すっぽ才能もないのにドリブルばかりする糞みたいな選手でした。スポーツには人間性が現れます。野球とサッカーでは育まれる人間性が異なる。実際、サッカーをやっている少年達は軒並み狼みたいな顔をしています。決して日焼けのせいではありません。我儘で傲慢、隙あらば人を蹴落とし、反則まがいのプレーが織り込み済みなのに、点を取れば贖罪され祝福すらされる。サッカーはとても野蛮で残酷な競技で、育まれる人間性もまた野蛮で残酷そのものです。ええ、勿論偏見も入っているでしょう。しかし、全く見当外れかと言えばそうでもないと思います。

偏見というよりも独断と表現した方が正解とも思われる男の話を聞きながら、一つの疑念が頭を擡げた。それならば尚更どうしてサッカーをやらせたのか、と。

―私はドイツでのサッカー経験を活かし、少年サッカー団のコーチに入りました。そこである工作活動を行ったのです。長男には絶対にドリブルをさせませんでした。ワンタッチ、多くてもツータッチでボールを離し、パスを選択させる。徹底的にキックを習得させ、見えてないパスコースがあると例え上手くいっても激しく叱責しました。プレースタイルとしてドリブラーとパサーがあり、パサーとして育成したといえば在り来たりな話です。しかし、私はドリブルだけでなく、試合でのシュートも禁じました。ゴール前でシュートを選択する場面でもパスを選択して必ずチームメイトにシュートをさせるよう命じたんです。

子供にも意思があるはずである。男の行なっていることは一面として、虐待とも思えた。

―ええ、そう言われることも甘んじて受け入れます。ただ、どうでしょうか。ある日突然ADHDだって言われて…。ただ、貴方はADHDだって言われるだけなんですよ。だったらどうなんですか。学校は何もしてくれない。ADHDだという診断が出て、喜ぶのは学校の先生と妻だけです。レッテルを貼って、ただただ安心したいだけなんです。これは私と息子のレースであり、殊に私にとっては妻への、そして、新しく出来た既成概念に対する反抗なんです。それに、私が息子に課しているのは何てことはない。ドリブルとシュートをするなってことだけです。

―今はまだ5年生ですが、上級生の試合にも呼ばれるようになりました。才能がある訳ではなく、当然のことです。みんなドリブルとシュートしか考えていない、協調性のない子供ばかりですからね。ただ、そんなことはどうでもいい。いつか妻に息子の試合を見せてやりたいんですよ。そして、こう言ってやるつもりです。「なぁ、見てみろよ。どっちがADHDか分かるかい?」って。今からこの台詞を練習してるんです。「なぁ、どっちがADHDか分かるかい?」って。

そうやって見せる男に俺は一瞬「カサブランカ」のハンフリー・ボガードのような粋な表情を見た。男の反抗は成功裡に終わるだろうか。ふと、積年の台詞を放った男が妻を横目にニヤリと微笑する様を想像してみた。数多の想像を超え、何とも愉快な気持ちが俺に訪れた。

レンジャー男の離婚チームに新たなるオペレーターの加入

今春、我がレンジャー男の離婚チームに新たなるオペレーター(特殊部隊における戦闘員の意味)が加入しました。その名も「グッドラック高鹿健雄」。慶應中等部から慶應志木高卒という過剰な経歴を持ちながら、その後、運輸省の航空大学校に挑戦して桜散るという味わい深い人生を歩んだ男による男のための弁護はどのようなレクイエムを奏でるのか?乞うご期待です!

謹賀新年’19

本年も宜しくお願い致します。週刊新潮の年末年始特大号に広告記事を掲載させて頂いております。なお、毎年恒例の年末の滝行は異例の大寒波の影響で中止とさせて頂きました。平成も終わった新しい年号の元年に復活が成されることをご期待下さい!

週刊新潮③

 

オールナイトニッポンでのCM放送

この夏「オードリー」のオールナイトニッポンでMEN’SDVC!のラジオCMが放送されることになりました。オールナイトニッポンと言えば日本国民の人口に膾炙するお馴染みの名調子と、自衛隊レンジャー教育のコンパス行進訓練で今日は徹夜になっちゃうかもねという意味の隠語で助教が富士学校に響き渡るほどの大音量で悪戯に「H教官のオールナイトニッポン!」と叫び続けた事が思い起こされるとともに、中学校時代に毎晩オールナイトニッポンの第一部を聞いてから漸く寝静まっていたために自律神経が崩壊しその後の青春期を棒に振った代表弁護士に縁由深いラジオ番組でもあります。何はともあれ、我らが男達のラジオ番組であることは間違いありません。それでも季節は巡り、再び灼熱の夏が訪れます。全国の男性諸君、オールナイトニッポンを聞いて尊厳を取り戻しましょう。