あの日を決して忘れられることは出来ません。翌週ロードショーとなる映画「鬼滅の刃」を観に行くということで私は急遽妻にアマゾンプライムを契約させられ、炭焼きの家で禰󠄀豆子が鬼になった回から炭治郎たちが無限列車に乗り込む回までをほぼ徹夜で予習させられました。東京喰種を彷彿させる残虐なシーンから始まり目を覆いましたが、過酷な訓練に耐える主人公である炭治郎の姿がかつての王道スポ根漫画の系譜に属していることを認識した後は、妻の監視が解けるほど鬼滅の世界観に没入し行きました。鬼滅隊の最終選別で異形の鬼「手鬼」と炭治郎が闘った時のことです。大きな岩を斬った際に手助けしてくれた錆兎と真菰という鱗滝の弟子が実は最終選別で醜い手鬼に殺された地縛霊だったことを知った時、「必ず首を斬ってくれ、炭治郎!」と思わず叫んでしまった時からは寧ろ鬼滅の世界観から抜け出せなくなってしまいました。いよいよ明日ロードショーという日の前夜、煉獄さんが蝶屋敷で胡蝶さんに「どこに行かれるんですか?」と尋ねられ、「鬼が出た。上弦の鬼かもしれない。」と答えるシーンを見てザワザワとした小文字のざわめきが生じました。なぜなら、鬼滅の「き」も知らず、呪術廻戦と東京リベンジャーズとの区別も付いてない時にまだ小学2年生だった長男が洗濯物を干している私に近寄って来て「ねぇねぇ、鬼には上弦と下弦がいてね。上弦の鬼は凄く強くて、柱でも2、3人居ないと勝てないんだ。なのにさ、たった一人でその鬼に立ち向かった柱がいてね。」と言って来たのに対し、「へぇ、それでその人勝ったの?」と尋ねると「シンジャった。」と答えたくだりを微かに思い出したんです。だから、私は映画館でポップコーンを買うために並んでいる際「煉獄さん、死ぬんだよね?上弦の鬼に殺されて…。」と妻に訊いたのです。そしたら、妻は「は?煉獄さんは主要キャラだよ。死ぬ訳ないじゃん。ローソンのおにぎりのキャラクターになってるの知ってるでしょ。この前、自分も食べてたじゃん。」と言われました。以前にも「誰も死なないから、ホント絶対❤️」と騙されて映画「ソウ」を観させられたこともあって半信半疑でしたが、私は妻の言葉を信じて座席に着きました。炭治郎たちの活躍で下弦の壱の鬼である魘夢は「悪夢だ…。」と呟きながら、灰になって死に絶えました。魘夢は肯定しても否定され、否定したらそのまま殺されるという先のパワハラ会議の生き残りの下弦の鬼で、鬼舞辻無惨から血を貰い、炭治郎たちを倒してまた血を貰い、百年以上もその座に君臨し続ける上弦の鬼との入れ替え戦に挑む夢を持っていました。人に夢を見させる鬼が白昼夢を見ながら「悪夢だ…。」と言いながら死んで行く様は実にシュールで愉快でした。暫く「悪夢だ…。」が私のマイブームになるなぁなんて幸福な予感に駆られながらエンドロールを待ち侘びていると、暗闇から突如強そうな鬼が現れてまさかとは思いましたが、そのまさかで右目に「参」左目に「上弦」と書かれた鬼が現れました。「やられた、また騙された!」と思い、妻の横顔を確認しましたが、妻は全くの無表情でした。闘いが始まりましたが、煉獄さんは想像以上の無双であることは無限列車内で認証済みです。ハリウッド映画でよくある「2」或いは「3」に向けた布石打ちだと思い、大船に乗ったアップビートな気持ちで闘いを見ていましたが、左目にクリティカルヒットを貰い片目が見えない状態に追いやられた辺りからヤバいんじゃないかと思い始めました。もうダメだと思ったのは、上弦の鬼と対峙して全力交錯した後、マント越しからのターンアップで「ハァハァ」と息を切らした煉獄さんの姿を見た時でした。どうしてそう思えたかと言うと、腹を刺された炭治郎に「そこだ」と言って止血を促した呼吸の達人にも関わらず、「ハァハァ」と息を切らすことなんて絶対にあり得ないと思ったからです。煉獄さんが奥義を出そうとして構えた時、私は煉獄さんの敗北を確信しました。どうしてそう思えたかと言うと、私は実は隣の市のスポーツセンターで合気道を習った経験があり、その師範代が「奥義は人に見せるものではない。その人とは自分でもある。」と仰っていたことを思い出したからです。つまり、奥義とは単に最終の必殺技ではなく自らの死を意味するものなのです。そして、煉獄さんは上弦の参の鬼に腹を割かれて死にました。煉獄さんは、長男がかつて言っていた「上弦の鬼に一人で立ち向かった柱」だったのです。市川崑の名作「悪魔の手毬唄」で金田一耕助が何度も唄を聞きに行く老婆が自分の子供になったような倒錯を感じました。かつて年長者が子供たちの見知らぬ物語を話すのを子供たちが恐る恐る訊いていたのと逆の構図であります。大人になりきれなかった中年が「名探偵コナンの逆だね。」って言われるみたいな感じは少し遠いかも知れません。兎に角、結末を知らなかった大黒柱の私だけが煉獄さんの死のダメージを受け身なしでもろに喰らい、暫く呆然として映画館を出てもフアフアと地に足が付きませんでした。妻の顔を見ると満足し切った表情で鼻を膨らませながら、ヒッヒッと手鬼のような独特の笑いを浮かべています。長男が口を滑らせた情報によると、柱はほぼ全滅するそうです。あんなに若くて美しく強い柱たちが鬼に惨殺される様を想像すると絶句します。こっちは錆兎と真菰が手鬼にトマトみたく握り潰されるシーンが頭にこびり付いて離れていないのです。あと何人私は柱の死を見届けなくてはならないのだろうと思うと夕焼けを前にして佇む零戦の整備班長のような老生して鄙びたダウンビートな気持ちになります。私は日々の平常心を守るためにこれ以上、鬼滅の刃を見ないこと決意しました。ところが、昨年秋にテレビシリーズが始まりました。私は意を決して妻に「もうオレ鬼滅の刃は観ないから」と宣言しました。しかし、宣言虚しく私は日曜の夜は昭和の時代にタイムスリップしたかの如く、オンタイムでお茶の間に括り付けられます。トイレに行くフリをして席を立とうとすると「何か勘違いをしていないか?」「家族を持つ資格がないようだ。」「キンタマ付いてんのかよ、ただの作り話だよ?」「あぁまさかの自分一人で生きているつもりの結婚不適合者だね。」「子供も楽しみに観てるのに親じゃないよ全く。」「よもや、よもやだ。」と意味不明の矢継ぎ早で言い返すことの困難な正論をぶちまけて来ます。大体その子供はこの物語の結末を知っているのです。私が知らなくて絶対に知りたくない物語の結末を自分の子供が知っていて、その物語を自分の妻に強制的に見させられるのって何なんでしょう。これって俗にいうモラハラだと思います。新聞で読んだんですが、近い将来モラハラにも保護命令が適用されると聞きました。私はモラハラで裁判所に保護命令を申し立てたいです。私の保護命令は認められるでしょうか?