埼玉県の離婚弁護士 レンジャー五領田法律事務所

三上博史と私

私には「三上博史に似ていますね?」と言われる季節がある。それは秋風が冷たくなるころには聞こえなくなり、寒風吹き荒ぶころには全く言われることがない。とはいえ減量期に入り腹筋の陰翳が礼賛される頃に「三上博史に似ていますね?」と言われる日はやって来る。季節は巡りめぐる。そう言われるかも知れない季節が来ると思うだけで、私は恭しく恐縮する。その季節は夏だった。私が中学生の頃、三上博史はトレンディドラマに引っ張り蛸であった。最大瞬間風速で言えば、間違いなくナンバーワンの俳優であった。「君が嘘をついた」「君の瞳をタイホする」などの「君」シリーズは時代が違えば、加山雄三の若大将シリーズや高倉健の網走番外地シリーズに肩を並べただろう。しかし、他の誰でもなく三上博史自身がそれを望まなかった。彼はチヤホヤされることを誰よりも毛嫌い、芸能界の一線をひっそりと退いた。私は三上博史がドラマ界の若き帝王として君臨している頃を知っている世代の人間である。たとえば、中学生の頃の私が新しいヘアジェルを買ったとする。鏡の前に立ち、キャップを外す。そして少量を手に取り、髪に撫で付ける。天然パーマに苦しんでいた私はその苦しみの捨象に努めながら鏡を睨みつけるように三上博史を意識した。私が千回ヘアジェルを髪に塗りつけているとすれば、きっとその大半は三上博史を意識していたはずだ。たとえば私が中学の同じクラスの女の子に不意に話しかけられたとき、振り向きざまに「え?」と言ったとする。そのときの私は「君が話しかけた」というドラマの主人公にでもなったつもりで三上博史を意識した。私が10回同じクラスの女子に不意に話しかけられたとすればその7、8回は三上博史を意識していたことになる。それから30年有余年の時を経て、私はその三上博史に「似ていますね?」と言われるようになった。他人が何をどう思ってそういうのかは想像することすら烏滸がましい。が、恐縮しない道理がないことだけは確かなことだ。そんな三上博史が渋谷のパルコ劇場でミュージカルをするという情報が私の元に飛び込んで来る。性転換手術が失敗して1インチすなわち2.5センチの肉の塊が残ってしまったことにアングリーする青年の喪失感を描いた若き美輪明宏しか出来ないような一人舞台に20年前ひっそりと三上博史が挑戦して伝説となった舞台のリバイバルであった。私は夏限定で「三上博史に似ていますね?」と言われる者として半ば義務感から高額取引サイトでチケットを取引して入手し、六本木化した渋谷のセンター街の雑踏を掻き分けパルコ劇場に向かった。まだ50代になる前の49歳の冬のことだ。気後れからの遅刻で懐中電灯に導かれて辿り着いた私の席は最前列の左翼の巨大スピーカーの真ん前だった。鼓膜の鈍い痛みを堪えながら舞台中央に目を移すと、そこに妖艶な女装に身を包む「三上博史」が佇んでいた。驚いたことに、観客は総立ちで今にもスタンディングオーベーションを始めそうな勢いだった。もっと驚くことに彼らはチェアに座ることを最後まで拒否していた。20年前の伝説のライブの追憶を1ミリも逃さずトレースしようとしているのか、ドラマ界の若き帝王の幻影を求めているのか各々の動機は悉く不明だったが皆一様に「三上博史」に酔いしれていた。当の三上博史はそんな動機などどうでもいいといったようにステージを踊り狂い、そして「1インチ肉の塊が残っちゃったよ、ふざけんな!」とシャウトし続けた。もちろん、その観客の中に夏限定で自分に似ていると言われる男がいるなんてことは知る由もない。劇の終盤「三上博史」が観客席に降りてくるという予定されていたか、予定外なのかわからない一幕があった。私の列にも「三上博史」は降りてきた。間近で見た「三上博史」は縦に入った深い皺に涙を沿わせて泣いておりイエス・キリストのようだった。劇場のアンヴィエントライトに照らされた仄かに点滅する灯で見える女性陣は若く見積もって皆60手前だった。だが、彼女たちは押し並べて少女のように号泣していた。そんな女性たちを「三上博史に似ていますね?」と言われる前の冬、いわば孵化する手前の49歳の私が見ているという俯瞰した光景を私はよく思い出す。いつからか男の寝酒と深夜覚醒後のユーチューブの二刀流に耐えられなくなって私のアイフォンにはユーチューブのアプリがない。その代わり、私を老人と間違えて送られてくるユーキャンの広告で購入した「聞いて楽しむ日本の名作」のプレイヤーを枕元に置くようになった。だいたい分かるだろうが、市原悦子をはじめとした名優が日本の名作を朗読してくれるというものだ。それは単3電池でゆっくりと電池がなくなるまで駆動する。50歳になり51歳の冬を迎えようとした私にユーキャンから新しい広告が届いた。「聞いて楽しむ日本の名作」の次世代機「やさしく聞ける日本の名作」が発売されるという内容の広告だった。胸の鼓動を確かめながらその広告を開くと、鼓動を超え心臓が止まりそうな朗報があった。市原悦子や草刈正雄など日本を代表する名優の末席に見覚えのある顔があったのだ。ギョロッとした双眼、禿げそうで禿げない広い額、そして縦に深く刻まれた頬の皺、そう「三上博史」だった。私はすぐさま老人でもすぐに購入できるようになっている点線で切り離せるユーキャン行きのハガキに自分の名前と住所を書き、その足でポストに向かった。何度も自分の書いた名前と住所が間違っていないか確認しながらである。もうすぐ私の寝床に「三上博史」がやってくる。更年期障害のせいか女陰の影が薄らいだ私の寝床に。まだ50歳になる前の49歳だった私の原風景の中で息づくあの少女たちのように今、私は確固たるときめきを抱きながら「三上博史」を待っているのだ。