埼玉県の離婚弁護士 レンジャー五領田法律事務所

セックスの神話Ⅱ〜映画「しあわせな選択」

「ハッピートゥギャザー」や「オールイン」を始めとする韓国の大スター、イ・ビョンホンと「頭の中の消しゴム」やヨン様のベッドシーンのお相手を務めた「四月の雪」最近でいえば「愛の不時着」で名を馳せた韓国国民の初恋ソン・イェジェンが共演した「しあわせな選択」のロードショーは平日の昼下がりにも関わらず大盛況であった。メガホンは「オールドボーイ」「復讐者に憐れみを」「親切なクムジャさん」の復讐三部作のパク・チャヌク監督と来れば、座れただけ有り難いというべきであろう。物語は失業した中年男が家族を守るために再就職に奔走する中で、勝手に仮想したライバルを実際に殺していくというサイコスリラーである。復讐三部作のような目を背けたくなるようなグロテスクさは一応あるも、その角度は丸く切り落とされていた。その代わりと言っては何だがユーモアの要素がふんだんに散りばめられている。そうした理由を監督自身が明確にそして滔々と新聞の夕刊で語っていたが、記事の切り抜きを忘れただけでなく内容もすっかり忘れてしまったし多分、理解もできなかったような気がする。春はもう少し後のことであった。実際に春が来たこと知ったのは日曜の午前、通り縋りの父が娘に「ほら見てごらん。蜂が飛んでいるよ」と言ったのに対し、小学生に上がったぐらいの娘が「お花も咲いているっていうことだね」と言ったのを聞いた時だった。こんなメルヘンなやり取りをどこで聞いたであろう。鳩がオリーブの葉を咥えているのを見たノアのような感慨をひしひしと抱きしめながら「あぁ、やっと終わった。冬が!」と心の中で叫んだのだ。それは跪いて咽び泣きたくなるほどの歓喜だった。もうお分かりであろう。詐欺のように繰り返される三寒四温の中でテストステロン値は連日最安値をつけて行った。言うなればそう、最高のタイミングでこの映画を観たということだ。ところで、妻の不倫に苦しむ男性は軒並べて情緒不安定である。蜂の話を例に出すまでもなく、情緒不安定な男は勝手気ままな場面でウソのような涙を流す。論理学では誤りの逆もまた然りも、この真理に関しては正である絶対的な自信がある。何も見るものがなかったから仕方なく観た「県庁の星」の冒頭で、スーパーに派遣されたばかりの織田裕二が右往左往しながら「えっ、マニュアルとかないの?」と言ったのに対し、女子高校生の頃からそのスーパーにいるパート役の柴咲コウが「商売は察するものです」と答えたことからエンドロールまで号泣し続けたことを思い出すに触れ、原因は忘れて思い出すことが出来ないが猛烈に情緒不安定だったのだろうと振り返る。主人公は最初の被害者を殺害する前に、最初の被害者の妻の不倫現場を目撃する。家族を守るという正義感のもとに行動しているため、殺害自体には何の良心の呵責も抱かないが、自分の妻も不倫しているのではないかと思い込む。そこに韓国映画史上最高の名シーンが登場するのだ。ダンスパーティーから帰って来た妻を待ち受ける夫。夫は妻の全ての下着を把握しており、箪笥をひっくり返して黒いレースのパンティだけがないと呟く。そして、不倫の事実を確かめるために帰宅直後の妻のパンティを強引に脱がせようとする。妻は自分のパンティを脱がせようとする夫を蹴飛ばし「お望みなのはコレね!」と言わんばかりに黒いレースのパンティを脱いで夫に投げつける。もちろん夫は千両役者イ・ビョンホン、妻は国民の初恋ソン・イェジェンだ。次の瞬間、イ・ビョンホンがソン・イェジェンのさっきまで履いていたパンティを鼻に押し当て、その匂いを嗅いだ後の表情がアップされる。それは妻が白だったという安堵と、安堵するために失ったものを自覚する機微の粋を集めたような表情であった。韓国映画史上、最高の名シーンである。子は二人いて、上の長男は夫の子ではなく連れ子である。連れ子は自らが連れ子であることを知らずに父親であると思っている法律上の父親の殺人を疑うが、母親である妻は証拠隠滅に奔走して我が子が見たことは何かの気のせいだと諭す。主人公は再就職を遂げて、家族の象徴である家も守られた。ハッピーエンドのようにも見える。夫は幸福なリビングで妻を抱き寄せようとするが妻はこれをそれとなく拒否して物語は終わる。低調なテストステロンのせいか、この夫婦は2度と愛欲の交換はなし得ないだろうという暗示が鼓膜の破れるほど聞こえて来たような気がした。夫婦の中でのセックスはある日ふと無くなり、それは永遠と復活しない。その原因は決して一つではないだろうが逆に三つや四つもはない。そして、その多くはない原因が夫婦間で共有されることは大凡にしてない。「しあわせな選択」は決して完全犯罪の映画ではない。なぜなら主人公はきちんと失うべきものを失っているのだ。