第1章 不惑の地図
1 ハイボールを飲む時間が好き
ハイボールは味わいたいから飲むというよりも、飲む時間が好きなんです。時には無理に落ちつきたくて飲むハイボールもありますが。よく行きつけの店はどこですか?って聞かれます。適当な店を出して紛らわせますが、よく行く店は近所のローソンです。何も言わずに同じ濃さのハイボールを出してくれますよ。もちろん店で飲むこともあります。でも繊細なんですかね。炭酸が抜けていたり、薄かったりするともう家に帰りたくなる。何だかガッカリして、目の前にいる人の顔さえ見たくなくなるんです。ぶらっと入った店でハイボールを頼んで、特段洒落てもないチェーン店のラストオーダーで「濃さはどうなされますか?」って聞かれたことがあります。どきっとしましたね。自分の繊細な部分、もっと言えば恥部を曝け出されたみたいで。少し考えたふりして「じゃぁ濃い目でお願いします。」って言いました。
2 勝っても負けてもいいから、戦ったってのが大事
自衛隊を辞める前に同じ部隊の奴から「サンボの試合に出ませんか?」って誘われたことがありました。もう前十字をやってたから気乗りはしなかったけど、二つ返事で「出るよ。」と言いました。行ってみるとそれが全日本の大会でね。一回戦の相手はプロの格闘家でした。試合が始まって低く構えていたつもりだったけど、瞬きしたらもう懐に相手の残像があって。プロって凄いなぁと思った同時に腕とられないようにフォールされに行ってる自分がいてね。そのときは戦士として酷く恥ずかしかったです。でも不思議なもので。今は全くそうと思いません。勝っても負けてもいいから戦ったのが大事なんだと思ってます。だからと言うわけじゃないけど「私の勝率はどのくらいでしょうか?」って聞いて来る人は、正直言って苦手ですね。
3 神様なんていない
弁護士になってよく面倒見てくれる人がいて、本当に感謝しています。その人がよく使うフレーズで「神様なんていないと思った。」と言うのがあります。ボクはそのフレーズが好きで。色んなところで出て来るんだけど、毎回そのフレーズを言うときだけは真剣になるんです。とても好きなんですよね。と或る刑事裁判で二十歳手前でシャブ打って60過ぎて初めて掴まった奴の弁護をしたことがあります。孫と初詣に行く前にシャブ買って、お年玉が入った財布落としたんで交番行ってそのまま掴まったんですね。そんな漫画みたいなことがあったんですね。でも次第にそいつは悪いことしてるのに掴まらない自分自身を通して「神様なんていない。」と思っていたんじゃないかと考え始めたんです。本人はそうじゃないって言ってたけど…。だから最終弁論では「被告人は交番まで神様に会いに行ったんです。」って言いました。検察官はおろか裁判官まで笑ってましたね。ボクだけが真剣でした。
4 クリスマスは、なくなってくれればいちばんいい
僕は大体、クリスマスは好きじゃないんです。学生のとき、アルバイト先で彼女の居ない奴は決まって店頭でサンタの格好してケーキを売らされるじゃないですか。アレが嫌でねぇ。クリスマスが近づくと途端に女から電話が来るようになって。分かっているけど嬉しくて「ねぇ25日のシフト替わってくれない?」って言われて。クリスマスってはっきり言って欲しかったですね。替わったらイイことがあるかと思ったけど一度もなかったです。25歳で初めて出来た女にも確かクリスマスに振られましたね。「学園祭に行っていい?」って不発弾処理中に言われたんです。だから未だにピンクのラインが入ったその高校の鞄を街中なんかでみると具合が悪くなります。クリスマス、なくなってくれればいちばんいいなと思うんです。
5 身を削っても相手のことを気づかう女ひとに惹かれる
ぼくが惹かれる女性ですか。男なんて単純なもんで、セックスをさせてくれる若返った母親が理想の女性の相場でしょう。それでも敢えてもう一つ理想を言えば、身を削っても相手のことを気づかう女に惹かれますね。ただ、現実にそんな女性と縁がある訳はなく、観音菩薩みたいにソファに横たわっている女がただ一人家にいるだけです。それでもセックスはさせてくれるので、見ようによれば理想の女を手に入れたのかも知れないって思うときがありますね。そう思った日の夜は当然ですが、燃えます。
6 男性専門の離婚弁護士について
確か10歳位のことでしたかね。家で使ってたテレビが壊れたんです。母親は弟を身篭っていたんで、父親と私と妹がビデオデッキを買いに行きました。父親は隣町の電気屋の店員の口車に載せられて、丸と三角と四角がボタンになっているデッキとともに特売のビクターのテレビを買ったんですね。帰りの車中で「お母さん怒るかなぁ。」って父親は心配そうな顔付きでぶつくさ何かを口走っていたのをよく覚えていますが、私と妹は何がなんだかわからなかったです。帰るとどうやらソニー信仰者だった母親が「なんでメーカーじゃないのを買ったんだ!」って広島弁で激怒して、そこから百年戦争を思わせる修羅場が始まりました。それでも、父親は一顧だにせず、私が弾いていたピアノの下に布団を敷いて寝るようになったんです。何度も「お父さん、一緒に寝ようよ。」と言ったけど、若かった父親はただ横を向いて黙って目を瞑っていました。そうしたところ、学校から帰ったら母親が身支度をしていて「これからこの家を出てくよ。」と言ったんです。妹は既に身支度を済ませていて、私の荷物も整えられていました。でも、私は母親に対して毅然と言いました。「悪いけどボクはここに居るよ。」って。最近ボケかけた母親にその時のことを聞いてみたらカッと目を見開いて言いました。「お前は金をとったんだ!あの時は心底、お前みたいな薄情な息子はいないと思ったね。」って私のことを罵るんです。でもまだ10歳ですから金の価値なんて当然分かりぁしませんよ。ただ母親の立てた計画はまだ10歳だった私の目から見ても稚拙だったし、何より私の弾くピアノの下で目を瞑って黙っていた父親の顔が脳裏に刻み込まれてました。弁護士が男の味方だなんて言うのは自由だけど、男の味方をするってそんなに簡単なものではないと思いますね。
終わり