市川雅嗣、丸の内にある外資系信託銀行の副頭取。「いまはもう49歳になるが、あれは私がまだ17歳の時だった。あの時のことを思うと今でも胸が締め付けられるようになる。」と彼は話し始めた。
「私は神奈川の県央地区の進学校でサッカー部に入っていた。サッカーの経験は少年サッカーだけだったが、私はやれると思っていた。監督はカレッジリーグの経験があり、県選抜のコーチを兼任していた。」
「ある日監督は私にこう言った。お前はまるで自動販売機のようだ、と。確かにそう言ったんだ。私はどうしてですか、と聞いた。監督はその理由を答える代わりに、新入部員と一緒にグラウンドの端でリフティングをするように命じた。その日以降、フォーメーションの練習に入ろうとすると静かな口調でこう言われた。ここで何やってんだ、と。ウィスキーを貰えるかな。出来れば、ダブルで。」
「それでも表面上は努めて冷静に振る舞っていた。自分の味わっている屈辱を人に知られたくなかった。もちろん本当は凄く傷ついていたんだ。その日以来、後輩には自分から挨拶をするようになった。相手によっては敬語で話していたかも知れない。サッカー部ではサッカーが上手な奴が偉い。メジャースポーツは本当に残酷だよ。」
「インターハイ予選はベスト16まで進んだ。1日1日が本当にキツかった。早く負けろって心の底から祈ってた。引退試合は格下だったが、後半の途中でユースにいた選手が助っ人で投入されてアッと言う間に逆転された。監督は抗議してたけど、通らなかった。私はホッとして涙が溢れてきて止まらなかった。やっとこの屈辱の日々が終わる。そしたら、三番手のキーパーにこう言われたんだ。オイ、なんでお前が泣いてんだよって。」
「誰だってこんな風に傷つけられるのは二度とご免だと肝に銘ずると思う。私もたしか暫くは今度はもっと上手くやって見せる、と自分に向かって言い続けた。もちろん今度なんてない。だから、生まれてくる子供には二度とこんな思いをさせたくないって心に決めた。」
「子供にはレスリングをさせました。メジャースポーツはもちろん、チームスポーツにも懲り懲りしていたから。練習がある日は仕事を犠牲にしても見に行った。だけど息子には全くと言っていいほど闘争心というものがなかった。自分より強い相手には勿論、自分より弱い相手にも手加減して、あの日は女の子にもチンチンにされてフォールされた挙句に股間を押し付けられて嬉しそうにフガーっと喚いていたんです。」
「それを見た私に誰かがこう囁いた。まるで自動販売機のようだなって。気付くと私は股間を押し付けられフガーっと喜んでいる息子の首根っこを掴んで体育館の外に連れ出し、競技場の隅の草むらに投げ飛ばした。力任せに頬を殴り、息子の顔は腫れ上がって行きました。」
「妻は腫れ上がった息子の顔をここぞとばかりに写真に撮り、翌日裁判所に対して保護命令を申し立てました。私のしたことは躾を超えていたんでしょう。ただ、それは妻の弁護士がいうような虐待だったのでしょうか。もう長い間息子に会っていません。」
「だけど私はどうしても教えたかったんだ。あの日以来思い続けていたことを。ほんの少しでもいいから他の人間より優秀であることを他の誰でもない、自分自身に理解させるように務めなければならないということを。そのことを教えられるのは、間違いなく私しかいない。そう、父親である私しか。」