ranger のすべての投稿

令和3年滝行開催決定

来たる令和3年12月28日神奈川県の某滝にて弊所の滝行訓練が例年通り開催されることとなりました。同日同場所にて入所試験も行われる予定です。令和元年入所の弁護士エイジ以来の合格者が誕生するかどうか。乞うご期待です!

令和3年度「埼玉県ボディビル大会」ご報告

男であれば誰の胸の内にもある肉体への憧憬を織りなしたタペストリーの総決算「埼玉県ボディビル大会」が2年ぶりに埼玉のニューヨークスクエアガーデン「パルシティ志木」にて開催されました。温かさや悲しみ、遵法意識と叛逆、顧客第一主義と仲間意識、ジョークや悲しみ、弱音に侵された胸の奥を今でもなお抉り続ける絶望感などその全てをワンポーズにワンポーズに表現した弊所代表が見事「クラッシックボディビル165cm以下級」のカテゴリーで3位入賞したことをご報告致します。

プロレス大会のご報告

4.11北沢タウンホールにて催されたブルーシャーク興行にて弊所弁護士秋月政寛が元IWA世界ヘビー級王者松田慶三シングルマッチに挑み、6分32秒、ヤングライオン杯の決勝を髣髴させる高角度のボストンクラブでギブアップ負けを喫しました。秋月は自身のインスタグラムで「ギブアップが地味過ぎる」とのディスに対し、「対戦相手のフィニッシュホールドだった。」と弁護士らしく毅然とした弁明を遂げました。次戦に期待しましょう!

美味しい飲み物

ふと、わたしの人生にとっての一番の美味しい飲み物は何だったのだろうと考えた。幼少の頃、シュガーコークはご馳走で、誕生日にしか飲めないものであった。それはレトロな瓶だけが弾倉のように詰められている販売機でコインを入れても自動的に何かが音を立てて出て来ることはなく、ギザギザの蓋から感じる痛みが喉の渇きに優ってしまうもので、幼いわたしはいつも母親に引き抜いて貰っていた。そのシュガーコークも今や瓶から缶に、ペットボトルにもなり、2リットルの巨大なのもあって水よりも廉価な飲み物になってしまった。もはや手に入らないのではないかと不安になってしまう不二家のネクターはお菓子で言えばマールボーロのようなもので、おそらく正味の桃果汁は殆どと言っていいほど入っていない。それなのにどうして桃の味がするのか子供心に不思議だったが、今飲むともしかして飲めたものではないのではないかと思ってしまう。そう思う理由は子供が食べていたマールボーロを食べて幻滅した鮮明な記憶が残っているからだった。青年になり美味しい珈琲を探し歩いたことがある。ドリップを研究し、サイフォンを揃えようかと思い始めたときに渋谷にある水出し珈琲店に辿り着き、足繁く通った。煮え滾った悪魔の血を思わせる濃さの珈琲はダッチ珈琲と言って、細いビーカーが遊園地のジェットコースターのように畝り狂っている薄暗い店内は何かの研究所のようでもあった。久しぶりにその珈琲を飲もうと思って渋谷に行ったが、かつての狂騒とは裏腹にパルコすら無くなった渋谷はわたしにとって天然の幽霊都市で悍ましい恐怖を感じさせる街だ。中学生に作らせたインスタントコーヒーより濃いスターバックスのドリップ珈琲はシュガードーナツと奇妙にマッチし、エナジードリンクでも感ずることのできない温度の鼻息が放たれる。それを楽しむマスクを外した人間たちの様相は、現代の阿片窟を呈する。ダッチ珈琲の二重の意味での命日がいつの日だったか知る由もないが、もう長くスターバックスに通っておらず、裁判所の駐車場が満車で国道沿いのスターバックスの駐車場に止めざるを得なかった時でも割引きのコインを貰うことなく、わたしは鴇色に表示される金額を純粋に支払う。わたしの珈琲遍歴に話を戻すが、友人宅に遊びに行って出して貰った珈琲の味に感動し「これどうやって作ったの?」と訊いたら、その友人が「ネスカフェだ。ゴールドブレンドだけどな。」と言って呆気なく終末を迎えた。そういえば昨年の秋、大井町のゴールドジムでゴリ高梨に「減量時にはバナナは辞めて下さい。」と言われ「分かりました。」と実直に約束した直後にその一階でゴリ高梨の幻影に怯えながら飲んだバナナシェイクは格別に美味しかった。ただ、それは自分をゴリラに模した男にバナナを柔らかく禁じられた禁忌破りのエクスタシーのようなものであり、砂漠を生き長らえた男がオアシスで飲む水のようなもので、わたしはわたしの大事なクライアントに割くべき時間を削ってまでそう言った意味での美味しさを語りたい訳ではない。横浜で裁判があった時は必ず中華街に立ち寄り、中国人たちに顔を覚えられていた時期があった。ある店に入り、紹興酒を注文した際、窓がない部屋に迷い込んできた秋茜のような不思議な残影に囚われた。それはと或る飯店の出店の看板に載せられた「氷点下ハイボール」という表示の残影であった。わたしは同席者たちに一本電話を掛けてくると嘘を言って、その幻影を蛾のように辿った。出店に立ちその一杯を注文して飲んでみるとそれは永久氷土の雪解け水を利用して作られたのではないかと訝るほど冷たく、興醒めと酩酊への恐怖をスレスレで片肺飛行するかのようなウヰスキーの濃度であった。わたしは会合を終えると足早にその出店でもう一杯を注文した。中国人の青年は「すみません。さっき機械の電源を落としてしまいました。」と言った。どうやらその飲み物は機械によって作られているようだ。次の機会にその店に行くと、今度は中国人の女がそこに立っていた。一杯目を注文して一息で飲み干すと、かつて見たのと同じ幸福な薔薇色の雲が周りに現れた。「これはどうやって作っているのですか?」と禁断の質問を投げかけた後、すぐに愚問だと嘆くことになる質問に20代後半の若い中国人はわたしの日本語をよく聞き取れなかったそうで、「これはとても高級なお酒を利用してあたしが作ってます。」と小鼻を大陸系に膨らませた。わたしは彼女に気がつかれないように、煌々と照らされた看板を盗み見するとそこには悪びれもせず「ブラックニッカクリア」と書かれてあった。「ブラックニッカクリア」は高級とは言えないブレンデッドウヰスキーのブラックニッカのエントリーモデル即ち最下級のウヰスキーで、北海道のセブンイレブンで説明するとザンギに合うと北海道民にこよなく愛されているサッポロソフトの少し上の部類に入る。びっくりしたフリをして二杯目を注文し、わたしの躰の周りに訪れる幸福な薔薇色の雲を再び見つめ直した。一体全体どうやって作っているんだと酔いに任せて店の中を覗き込もうとしてそれを中座する時間帯が暫く続いたが、結局、今に至るまでそれをしていない。なぜなら、それは竜宮城で働く乙姫たちのシフト表を盗み見するようなもので何一つ生産性がない。言ってしまえば野暮であるからだった。そのようにして出会った美味しい飲み物である「氷点下ハイボール」も最後に飲んだのはいつだったか忘れてしまった。結局、わたしの人生において一番美味しい飲み物は何だったのか、わたしには分からない。ひょっとするとこれからもずっと分かることがないような気がしている。

新年の挨拶に代えて〜令和3年

令和2年末のしまなみ海道走破、そして大晦日に限りなく近い滝修行を経て今、緊急事態宣言下の沖縄からの帰路に着き、漸く皆様に新年のご挨拶を幾久しくさせて頂くことが出来ました。この時機に新年のご挨拶を差し上げるのは、全て私の不徳の致すところであり、矮小な快楽にストイックに充足した時間が無ければ、決してこのような挨拶をすることはなかっただろう反省するばかりです。年末に滑り込ませることが出来なかった幾つかの尋問期日を終え、永らく対話することのなかった妻とコロナ禍の空間を供にするというセンチメンタルな悦楽を男性専門の法廷弁護士として間近かに感じたその余韻を二つ三つと抱えながら、私は深夜、第2次緊急事態宣言下の那覇空港に降り立ちました。泡盛の酔いに任せた徹底的に暗い眠りから醒めると、私はスパルタン<BEAST>を完走した際に貰った緑色のTシャツを身に纏い、会場とされる美山ビーチに向かいました。「このレースは重大な事故が起きる可能性があるものです。」「主催者はその全ての事故に一切の責任を負いません。」とユニバーサルに無理やり和訳された同意書に署名をし、マッドマックスの広大な砂漠を彷彿させる爆音の響きを肌に感じること暫く、例によって突如レースは始まりました。アーノルドシュワルツネガーは現役時代一切の有酸素運動をしなかったという筋肉神話と心中し掛けている私が、愛すべき地方都市から東京に向かう列車にギリギリのタイミングで乗り込むとき以外は走ることをしなかったことを股関節の軋みを通して知るとき、私は漸くこの重大な事故が起きる可能性がある自己責任のレースに参加しているという実感を得ることが出来るのでありました。このような実感のズレをプルーストの失われた時を求めての主人公が育ての祖母の葬式の帰りに靴紐が解けていることに気づき靴紐を結び直した際によく祖母が靴紐を結んでくれたことを想起して号泣したことや、高校2年生の夏に告白されて気乗りせず交際を始めた女性の腋化に毛が生えていることを通して初めて自分が浪人したことに気付いた実弟の御伽噺を通して確かめ直すと、私の前にあるトラウマに満ちた障害物が現れました。それは「Twister」と銘打たれた障害物です。スパルタンレースには障害物の前に動物園にいるワニがどのようなワニであるかを指し示すのと同じようにその障害物の名前と特性が記されている看板が建てられています。もちろん、一刻一秒を争う「ELITE」レーサーはそんな看板など見るまでもなく猛禽類が獲物に食らいつくように障害を超えるのでしょうが、私は今回は「SUPER」としてレースに参加していました。そのコース選択はかつて専門の男として税金から金銭を支給されていた者としてのプライドとそうは言ってもという現実にアリストテレス倫理学中最大の徳とされた中庸を適用したことに所以を持ちます。とはいえ、出場者の殆どが経験者か腕に覚えがある者で、パニッシュメントバービーを分け合うことが許される「OPEN」カテゴリーとは大きな一線を画すものでした。「Twister」は言ってしまうとSASUKEの序盤に出てくる障害物で45°刻みで三連に溶接された特殊な回転式の持ち手が連結されたものです。何を隠そう一昨年秋のBEAST時に5回挑戦して5回とも半ば辺りで力尽き、かつての専門の男として筋痙攣の漣を一と数えるという屈辱のバービーを強いられた障害物でした。失敗すればおそらくはその後のレースがアンチクライマックスとなる瞬間が訪れ、必殺技の直前にサポーターを外すプロレスラー、或いは、射精の直前に避妊具を外す射精者といった具合に巨大なオブジェである「Twister」の足元に外したグローブを丁寧に並べた後、漸く私の利き手は重力を感じることになりました。前回の失敗の本質はミッドウェー海戦を引き合いに出す迄もなく、悉く力任せに行こうとしたことに求められます。この障害物は次の取手に手を掛けた後は後方の手を完全に離さない限り、次の取手が真下に回転しないため自縄自縛に陥ってしまう仕組みになっているのです。そのため肘の力を開放し、テンポよく進むために後方の手を素早くリリースするという勇気と技術が必要になります。とはいえ、従前の挑戦は5回全て失敗し生きる意味を知らない程度に打ちのめされているため、その力加減がほとほと難しいことも理解しています。その証左に殆どのSUPERレーサーがパニッシュメントのバービーを邪魔にならない場所で恥ずかしげに繰り返していました。半ばまではテンポ良く辿り着いたものの自縄自縛になる恐怖が途端にモチモチの木さながら怪物に化け私の前に立ちはだかりました。どんどん力が篭って行き、それにつれて肘は曲がってテンポが取り辛くなります。そうなってしまうと中々リラックスの挽回は難しいです。そこで、私はカルキ臭い昭和の25メートルプールを泳ぎ切ったあの頃のようなフレッシュでどことなくファニーな全能感とともに、火花を散らつかせながら力任せに眼前のベルを叩きました。不安定に着地すると赤いTシャツを着た係員が「いい筋肉でしたよ!」と大胸筋の割れ目に鈍い痛みを感じる過呼吸気味の私に喝采の声を上げました。「凄い筋肉ですね!」と一週間に一度は言われた20代30代とはもう随分と月日が経ったのだと暗と知らされながらも、決して単なる物体としての障害物ではなく立ちはだかった障害を自分自身だけが自分自身のために克服したという無味無色の事実にフレッシュでどことなくファニーな満足感を得たのです。思い返してみると第1次緊急事態宣言下、散歩中に偶然見つけた市民球場の裏に誰がどんな意図を持って設置したのか分からない鉄棒にジャンプして捕まり、暇を見つめては懸垂運動を繰り返していた。その回数は緊急事態が深まるにつれ増えてゆき、専門の男だった全盛期の27回を超えて30回に届くか届かなかったに達したところで、第一次緊急事態宣言が明けたのです。その後はコロナと聞いてビールか石油ストーブかを思い浮かべた牧歌的な従前の、裁判所巡りと矮小な快楽にストイックに充足する日々に戻り今に至ります。ふと今月の祝日前の深夜に久しぶりに鉄棒にジャンプしようと、球場の裏に向かうと、ちょうど少年から青年に向かおうとして各々がそれぞれの身の丈に合わないことをしようとしている雰囲気を醸す若者の群れがその鉄棒を囲んでいました。私は品格を重んじる順応主義者として踵を返し掛けましたが、それよりもテストステロンの減少にジンテーゼを唱えることの虚しさを恐れ、踵を返し直し、その若者の群れに悠然と飛び込んでジャンプしたのでした。第1次緊急事態明けの記録には届かないことは分かっていましたが、10回、15回、20回を超えて反動を使えず、指だけでぶら下がってから粘って何回やるかが肝となる域まで達し、程なく24回を超えたところで一粒の麦となることが出来ました。深夜の若者たちは同性の動物として私の懸垂を称えました。それを思えば、私の「Twister」の挑戦はかつての専門の男として出来て当然の匂いがしないでもありません。しかしかつてクリアすることの出来なかった障害物を目の前に立ちはだかった障害として克服したことに決して浅くはない満足を得たことは紛れもない事実なのです。

これをもって新年のご挨拶に代えます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

男の離婚弁護士の美学

第1章 不惑の地図

1 ハイボールを飲む時間が好き

ハイボールは味わいたいから飲むというよりも、飲む時間が好きなんです。時には無理に落ちつきたくて飲むハイボールもありますが。よく行きつけの店はどこですか?って聞かれます。適当な店を出して紛らわせますが、よく行く店は近所のローソンです。何も言わずに同じ濃さのハイボールを出してくれますよ。もちろん店で飲むこともあります。でも繊細なんですかね。炭酸が抜けていたり、薄かったりするともう家に帰りたくなる。何だかガッカリして、目の前にいる人の顔さえ見たくなくなるんです。ぶらっと入った店でハイボールを頼んで、特段洒落てもないチェーン店のラストオーダーで「濃さはどうなされますか?」って聞かれたことがあります。どきっとしましたね。自分の繊細な部分、もっと言えば恥部を曝け出されたみたいで。少し考えたふりして「じゃぁ濃い目でお願いします。」って言いました。

2 勝っても負けてもいいから、戦ったってのが大事

自衛隊を辞める前に同じ部隊の奴から「サンボの試合に出ませんか?」って誘われたことがありました。もう前十字をやってたから気乗りはしなかったけど、二つ返事で「出るよ。」と言いました。行ってみるとそれが全日本の大会でね。一回戦の相手はプロの格闘家でした。試合が始まって低く構えていたつもりだったけど、瞬きしたらもう懐に相手の残像があって。プロって凄いなぁと思った同時に腕とられないようにフォールされに行ってる自分がいてね。そのときは戦士として酷く恥ずかしかったです。でも不思議なもので。今は全くそうと思いません。勝っても負けてもいいから戦ったのが大事なんだと思ってます。だからと言うわけじゃないけど「私の勝率はどのくらいでしょうか?」って聞いて来る人は、正直言って苦手ですね。

3 神様なんていない

弁護士になってよく面倒見てくれる人がいて、本当に感謝しています。その人がよく使うフレーズで「神様なんていないと思った。」と言うのがあります。ボクはそのフレーズが好きで。色んなところで出て来るんだけど、毎回そのフレーズを言うときだけは真剣になるんです。とても好きなんですよね。と或る刑事裁判で二十歳手前でシャブ打って60過ぎて初めて掴まった奴の弁護をしたことがあります。孫と初詣に行く前にシャブ買って、お年玉が入った財布落としたんで交番行ってそのまま掴まったんですね。そんな漫画みたいなことがあったんですね。でも次第にそいつは悪いことしてるのに掴まらない自分自身を通して「神様なんていない。」と思っていたんじゃないかと考え始めたんです。本人はそうじゃないって言ってたけど…。だから最終弁論では「被告人は交番まで神様に会いに行ったんです。」って言いました。検察官はおろか裁判官まで笑ってましたね。ボクだけが真剣でした。

4 クリスマスは、なくなってくれればいちばんいい

僕は大体、クリスマスは好きじゃないんです。学生のとき、アルバイト先で彼女の居ない奴は決まって店頭でサンタの格好してケーキを売らされるじゃないですか。アレが嫌でねぇ。クリスマスが近づくと途端に女から電話が来るようになって。分かっているけど嬉しくて「ねぇ25日のシフト替わってくれない?」って言われて。クリスマスってはっきり言って欲しかったですね。替わったらイイことがあるかと思ったけど一度もなかったです。25歳で初めて出来た女にも確かクリスマスに振られましたね。「学園祭に行っていい?」って不発弾処理中に言われたんです。だから未だにピンクのラインが入ったその高校の鞄を街中なんかでみると具合が悪くなります。クリスマス、なくなってくれればいちばんいいなと思うんです。

5 身を削っても相手のことを気づかう女ひとに惹かれる

ぼくが惹かれる女性ですか。男なんて単純なもんで、セックスをさせてくれる若返った母親が理想の女性の相場でしょう。それでも敢えてもう一つ理想を言えば、身を削っても相手のことを気づかう女に惹かれますね。ただ、現実にそんな女性と縁がある訳はなく、観音菩薩みたいにソファに横たわっている女がただ一人家にいるだけです。それでもセックスはさせてくれるので、見ようによれば理想の女を手に入れたのかも知れないって思うときがありますね。そう思った日の夜は当然ですが、燃えます。

6 男性専門の離婚弁護士について

確か10歳位のことでしたかね。家で使ってたテレビが壊れたんです。母親は弟を身篭っていたんで、父親と私と妹がビデオデッキを買いに行きました。父親は隣町の電気屋の店員の口車に載せられて、丸と三角と四角がボタンになっているデッキとともに特売のビクターのテレビを買ったんですね。帰りの車中で「お母さん怒るかなぁ。」って父親は心配そうな顔付きでぶつくさ何かを口走っていたのをよく覚えていますが、私と妹は何がなんだかわからなかったです。帰るとどうやらソニー信仰者だった母親が「なんでメーカーじゃないのを買ったんだ!」って広島弁で激怒して、そこから百年戦争を思わせる修羅場が始まりました。それでも、父親は一顧だにせず、私が弾いていたピアノの下に布団を敷いて寝るようになったんです。何度も「お父さん、一緒に寝ようよ。」と言ったけど、若かった父親はただ横を向いて黙って目を瞑っていました。そうしたところ、学校から帰ったら母親が身支度をしていて「これからこの家を出てくよ。」と言ったんです。妹は既に身支度を済ませていて、私の荷物も整えられていました。でも、私は母親に対して毅然と言いました。「悪いけどボクはここに居るよ。」って。最近ボケかけた母親にその時のことを聞いてみたらカッと目を見開いて言いました。「お前は金をとったんだ!あの時は心底、お前みたいな薄情な息子はいないと思ったね。」って私のことを罵るんです。でもまだ10歳ですから金の価値なんて当然分かりぁしませんよ。ただ母親の立てた計画はまだ10歳だった私の目から見ても稚拙だったし、何より私の弾くピアノの下で目を瞑って黙っていた父親の顔が脳裏に刻み込まれてました。弁護士が男の味方だなんて言うのは自由だけど、男の味方をするってそんなに簡単なものではないと思いますね。

終わり

 

レンジャーGが訊く③〜父親たちの旭日旗

加藤克典(偽名)43歳、兜町にある外資系証券会社のバイスプレジデント。「受験戦争という言葉は実際やってみると腑に落ちるものです。親子で戦争に行ったような気分です。受験の足音が聞こえて来るにつれ、子供は円形脱毛症、私は耳鳴りに苦しむようになりました。」と彼は話し始めた。

「志望校はR4偏差値55前後の準御三家レベルの学校でした。結果ですか?見事に全滅しましたよ。2月1日からの五連戦、文字通り東京を駆けずり回りました。」

「大卒の母親はお前はバカが好きだから仕方がないと言います。間違ってはいませんが、当たらずも遠からずと言ったところでしょう。私はバカが好きなのではなく、巨乳が好きなのです。巨乳がバカだということは偏見ですし、私もそう思ったことは一度もありません。しかし、聡明な女性は概して貧乳であることはほぼ間違いないと思います。」

「大体、私の母親は…母親でなくてもいいんですが、結婚すると恋愛時代の過酷さを忘れてしまうんです。あるじゃないですか、女を紹介してあげた奴がいつの間にかその女と結婚してて「結婚式挙げなかったんだね?」と訊くと「挙げたよ。」って言われるアレですよ。この話は極端で、しかもズレてますが、恋愛時代に聡明な良妻賢母になりそうな女を選ぶ男なんていませんよ。大概の男は白いコートを着た母親と買い物に行くようなポニーテールの女に群がってしまうんです。実際そんな女は結婚しちゃいけないような地雷女だなんて分かりはしない。埼玉県か静岡県出身のO型で兄がいない姉の女性を探そうとすれば、靴は金の草鞋じゃ足りません。しかも巨乳ですよ。そんな女と私みたいな性的魅力のないアトピー気味の男が結婚して子供を設けたこと自体が奇跡なんです。私の母親は全く分かっていないんですよ、恋愛市場の過酷さが。まぁ、母親じゃなくてもいいんですが…。」

「子供に社会の勉強教えていて色んなところに吉田茂が出て来ることに驚きました。吉田茂がタイムスリッパーなんじゃないかと思う位色んなところに出て来るんです。5回目くらいから笑えなくなって来て、7回目に間違えた時は平常心を失いました。でも、よくよく思い出してみると私が小学校のときは近所のドブ川で釣った魚に爆竹噛ませて町中の郵便ポストにぶち込んでいましたから当然卒業するまで吉田茂なんて知らなかったと思います。中学受験をした奴もいたとは思いますが、全く記憶がありません。クラスで一番偉いやつはドラクエ2の終盤の地下ダンジョンをノーミスでクリア出来る奴でした。心の底から神様だと思いましたね。」

「最近流行の教育虐待ですが、私見を述べさせて貰えば教育そのものが虐待です。特に中学受験は出題される問題そのものが虐待レベルの異常空間です。それに挑戦する訳ですから多少の歪みは、織り込み済みのように感じます。もちろん名古屋の事件は知ってますよ。受験中は新聞やニュースを見る余裕がありませんでしたから、後で知りました。私はあの父親の気持ちが、その息遣いまで手に取るように分かる気がします。いや…すみません。私は受験では幸か不幸か挫折を知りませんから、手に取るように分かるというのは撤回します。ただ、TVのコメンテーターが言うことには正直吐き気がします。あの父親は息子の中学受験を通して薬剤師の父親を乗り越えたかったんですよ。スターウォーズのルークスカイウォーカーみたいなものです。「ウソだ!ボクのお父さんはダースベーダーに殺されたんだ!」って実の父親と闘いながら叫んでたんです。そして「ルーク、私が父親だ。」って言われたかった。ひと世代を隔てて自身のカタルシスを得たかったんです。気づいたら子供が死んでいた。気づいたらと言いましたが、2回心臓を刺していますから、殺したくて殺したんだと思います。絶対に勝てない父親の幻影が現れ、それを刺し殺したんです。これは自家撞着な上に極端で、しかもズレてますが、当たらずも遠からずだと思います。いや…当たっていると思いますね。」

「子供の円形脱毛症はいつの間にか治ってました。受験時代の名残で子供と深夜にプロレスを見ていた時です。その試合はタイトル戦のラダーマッチだったんですが、兎に角面白くて二人で腹を抱えて笑ってたんです。挑戦者がパイルドライバーの態勢に入った時に徐に子供テッペンを弄ったらハゲはどこかに無くなっていました。私は深夜に勉強が終わると子供を風呂に入れ、必ず子供の頭をマッサージしながら洗っていました。シャンプーを洗い流す時になんかおかしいなと思って毛の向きとは逆にシャワーを当てた時に脳天に出来た白い地肌を見た時の戦慄は今でも覚えいます。私は必死に笑い泣きをしているように見せ掛けて泣きました。ホントに良かったって思いました。」

「私の耳鳴りですか?まだ相変わらずです。一時期の金属音のような耳鳴りは止みましたが、暫くは治らなくていいと思っています。名古屋の父親がどこかの刑務所でそうしているように、私は私のこの耳鳴りを聴きながら静かに贖罪をしているのでしょう。これが勝手な言い分だとすれば一生治らなくてもいい。この罪がどこかで贖われた時に治ればいいってそう思っています。」