埼玉県の離婚弁護士 レンジャー五領田法律事務所

レンジャーGが訊く③〜父親たちの旭日旗

加藤克典(偽名)43歳、兜町にある外資系証券会社のバイスプレジデント。「受験戦争という言葉は実際やってみると腑に落ちるものです。親子で戦争に行ったような気分です。受験の足音が聞こえて来るにつれ、子供は円形脱毛症、私は耳鳴りに苦しむようになりました。」と彼は話し始めた。

「志望校はR4偏差値55前後の準御三家レベルの学校でした。結果ですか?見事に全滅しましたよ。2月1日からの五連戦、文字通り東京を駆けずり回りました。」

「大卒の母親はお前はバカが好きだから仕方がないと言います。間違ってはいませんが、当たらずも遠からずと言ったところでしょう。私はバカが好きなのではなく、巨乳が好きなのです。巨乳がバカだということは偏見ですし、私もそう思ったことは一度もありません。しかし、聡明な女性は概して貧乳であることはほぼ間違いないと思います。」

「大体、私の母親は…母親でなくてもいいんですが、結婚すると恋愛時代の過酷さを忘れてしまうんです。あるじゃないですか、女を紹介してあげた奴がいつの間にかその女と結婚してて「結婚式挙げなかったんだね?」と訊くと「挙げたよ。」って言われるアレですよ。この話は極端で、しかもズレてますが、恋愛時代に聡明な良妻賢母になりそうな女を選ぶ男なんていませんよ。大概の男は白いコートを着た母親と買い物に行くようなポニーテールの女に群がってしまうんです。実際そんな女は結婚しちゃいけないような地雷女だなんて分かりはしない。埼玉県か静岡県出身のO型で兄がいない姉の女性を探そうとすれば、靴は金の草鞋じゃ足りません。しかも巨乳ですよ。そんな女と私みたいな性的魅力のないアトピー気味の男が結婚して子供を設けたこと自体が奇跡なんです。私の母親は全く分かっていないんですよ、恋愛市場の過酷さが。まぁ、母親じゃなくてもいいんですが…。」

「子供に社会の勉強教えていて色んなところに吉田茂が出て来ることに驚きました。吉田茂がタイムスリッパーなんじゃないかと思う位色んなところに出て来るんです。5回目くらいから笑えなくなって来て、7回目に間違えた時は平常心を失いました。でも、よくよく思い出してみると私が小学校のときは近所のドブ川で釣った魚に爆竹噛ませて町中の郵便ポストにぶち込んでいましたから当然卒業するまで吉田茂なんて知らなかったと思います。中学受験をした奴もいたとは思いますが、全く記憶がありません。クラスで一番偉いやつはドラクエ2の終盤の地下ダンジョンをノーミスでクリア出来る奴でした。心の底から神様だと思いましたね。」

「最近流行の教育虐待ですが、私見を述べさせて貰えば教育そのものが虐待です。特に中学受験は出題される問題そのものが虐待レベルの異常空間です。それに挑戦する訳ですから多少の歪みは、織り込み済みのように感じます。もちろん名古屋の事件は知ってますよ。受験中は新聞やニュースを見る余裕がありませんでしたから、後で知りました。私はあの父親の気持ちが、その息遣いまで手に取るように分かる気がします。いや…すみません。私は受験では幸か不幸か挫折を知りませんから、手に取るように分かるというのは撤回します。ただ、TVのコメンテーターが言うことには正直吐き気がします。あの父親は息子の中学受験を通して薬剤師の父親を乗り越えたかったんですよ。スターウォーズのルークスカイウォーカーみたいなものです。「ウソだ!ボクのお父さんはダースベーダーに殺されたんだ!」って実の父親と闘いながら叫んでたんです。そして「ルーク、私が父親だ。」って言われたかった。ひと世代を隔てて自身のカタルシスを得たかったんです。気づいたら子供が死んでいた。気づいたらと言いましたが、2回心臓を刺していますから、殺したくて殺したんだと思います。絶対に勝てない父親の幻影が現れ、それを刺し殺したんです。これは自家撞着な上に極端で、しかもズレてますが、当たらずも遠からずだと思います。いや…当たっていると思いますね。」

「子供の円形脱毛症はいつの間にか治ってました。受験時代の名残で子供と深夜にプロレスを見ていた時です。その試合はタイトル戦のラダーマッチだったんですが、兎に角面白くて二人で腹を抱えて笑ってたんです。挑戦者がパイルドライバーの態勢に入った時に徐に子供テッペンを弄ったらハゲはどこかに無くなっていました。私は深夜に勉強が終わると子供を風呂に入れ、必ず子供の頭をマッサージしながら洗っていました。シャンプーを洗い流す時になんかおかしいなと思って毛の向きとは逆にシャワーを当てた時に脳天に出来た白い地肌を見た時の戦慄は今でも覚えいます。私は必死に笑い泣きをしているように見せ掛けて泣きました。ホントに良かったって思いました。」

「私の耳鳴りですか?まだ相変わらずです。一時期の金属音のような耳鳴りは止みましたが、暫くは治らなくていいと思っています。名古屋の父親がどこかの刑務所でそうしているように、私は私のこの耳鳴りを聴きながら静かに贖罪をしているのでしょう。これが勝手な言い分だとすれば一生治らなくてもいい。この罪がどこかで贖われた時に治ればいいってそう思っています。」