埼玉県の離婚弁護士 レンジャー五領田法律事務所

レンジャーGが訊く②〜「ADHD」新たな障害の誕生

責任だけが肥大し、男の尊厳や自負が時代の流れとともに剥奪されゆく現代。大方はそういうものだと諦めるが、他方で一矢報いようと頭を擡げる男もいる。そんな男達にインタビューする人気シリーズの第2弾。

田中光二、37歳、大手5大商社勤務。男は一体どんなやり方で一矢を報いたのか、レンジャーGが訊いた。

―父親も商社マンだったので、幼少期は海外で過ごしました。海外では自己主張するのが当たり前で、それもあってか集団行動に馴染めないヤツなんてザラでした。授業中に音楽を聴いてるヤツ、ガムを噛んでるヤツ、小説を読んでるヤツ。それでも何とか授業は成り立つものです。むしろ、それが日常の風景みたいなもので、カオスとともに調和が保たれると言った雰囲気があったと思います。確かに暴力はありましたよ。それこそギャングみたいな先生もいた。今ではもう暴力が御法度になってしまったようですが…。

暴力の追放に成功したように見える日本社会。果たして、それと引き換えに喪ったものはないと誰が言い切れるだろうか。

―マレーシアの海外出張から帰って来た夜のことでした。妻から話があると言われました。妻が言うには、当時小学校3年だった長男がADHDの疑いがあるから検査を受けて欲しいと学校から言われているとのことでした。そう、それです。広汎性発達障害です。それって病気なのかって聞くと、妻は多様性という言葉を口にしました。だったら検査なんて受けなくていいじゃないかって言ったら、どうやら機嫌を損ねたようで、それから一週間ほどは口を聞いて貰えませんでした。

男はエモーショナルな表情で目を細め、徐にソリッドに巻かれた莨に火を点けた。

―話を聞くと、長男は昼休みに木に登って本を読むんだそうです。昭和の頃、土曜の正午にやっていた独占女の60分のコメンテーターを全部足して頭数で割ったようなスクールカウンセラーが誇らしげに私にこう言いました。「あなたの息子さんはおそらくADHDです。」と。他にも集団下校中にセブンイレブンで唐揚げ棒を買って一人で食べていたと言いました。誰だってお腹が空けば唐揚げ棒の一本や二本食べたくなるでしょう。

ぺストのように出現した性善説が廻り廻って世の中はすっかり均質化の道を辿っている。その大きな流れには聖域がなく、学校教育の場にも少なからぬ影響を与えているようだ。そして一億総道徳自警団化により一切の有形力を封ぜられた聖職者。窮鼠猫を嚙むさながらに、叛逆の狼煙として創設されたのが新しい障害「ADHD」であるとしたら…。

―言いたいことは分かります。でも、世の中の流れがどうあろうと私の子が得体の知れないレッテルを貼られようとしているのは紛れも無い事実でした。私は妻の了解を丁寧に取り、地元のサッカークラブに長男を入会させたのです。

子供にどのようなスポーツをやらせるかは父親にとってセンシティブな問題である。どうしてサッカーを?との問いに男は静かに口を開いた。

―私自身もドイツではサッカーをやっていました。地区の代表まで行きましたが、碌すっぽ才能もないのにドリブルばかりする糞みたいな選手でした。スポーツには人間性が現れます。野球とサッカーでは育まれる人間性が異なる。実際、サッカーをやっている少年達は軒並み狼みたいな顔をしています。決して日焼けのせいではありません。我儘で傲慢、隙あらば人を蹴落とし、反則まがいのプレーが織り込み済みなのに、点を取れば贖罪され祝福すらされる。サッカーはとても野蛮で残酷な競技で、育まれる人間性もまた野蛮で残酷そのものです。ええ、勿論偏見も入っているでしょう。しかし、全く見当外れかと言えばそうでもないと思います。

偏見というよりも独断と表現した方が正解とも思われる男の話を聞きながら、一つの疑念が頭を擡げた。それならば尚更どうしてサッカーをやらせたのか、と。

―私はドイツでのサッカー経験を活かし、少年サッカー団のコーチに入りました。そこである工作活動を行ったのです。長男には絶対にドリブルをさせませんでした。ワンタッチ、多くてもツータッチでボールを離し、パスを選択させる。徹底的にキックを習得させ、見えてないパスコースがあると例え上手くいっても激しく叱責しました。プレースタイルとしてドリブラーとパサーがあり、パサーとして育成したといえば在り来たりな話です。しかし、私はドリブルだけでなく、試合でのシュートも禁じました。ゴール前でシュートを選択する場面でもパスを選択して必ずチームメイトにシュートをさせるよう命じたんです。

子供にも意思があるはずである。男の行なっていることは一面として、虐待とも思えた。

―ええ、そう言われることも甘んじて受け入れます。ただ、どうでしょうか。ある日突然ADHDだって言われて…。ただ、貴方はADHDだって言われるだけなんですよ。だったらどうなんですか。学校は何もしてくれない。ADHDだという診断が出て、喜ぶのは学校の先生と妻だけです。レッテルを貼って、ただただ安心したいだけなんです。これは私と息子のレースであり、殊に私にとっては妻への、そして、新しく出来た既成概念に対する反抗なんです。それに、私が息子に課しているのは何てことはない。ドリブルとシュートをするなってことだけです。

―今はまだ5年生ですが、上級生の試合にも呼ばれるようになりました。才能がある訳ではなく、当然のことです。みんなドリブルとシュートしか考えていない、協調性のない子供ばかりですからね。ただ、そんなことはどうでもいい。いつか妻に息子の試合を見せてやりたいんですよ。そして、こう言ってやるつもりです。「なぁ、見てみろよ。どっちがADHDか分かるかい?」って。今からこの台詞を練習してるんです。「なぁ、どっちがADHDか分かるかい?」って。

そうやって見せる男に俺は一瞬「カサブランカ」のハンフリー・ボガードのような粋な表情を見た。男の反抗は成功裡に終わるだろうか。ふと、積年の台詞を放った男が妻を横目にニヤリと微笑する様を想像してみた。数多の想像を超え、何とも愉快な気持ちが俺に訪れた。